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117. 山姥さん、お邪魔しま〜す
 【四】 山姥の祠

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山姥さんのお宅訪問シリーズ、第四弾 ゆるく、しつこく続いておりますこのシリーズ。 第四弾となりました。 今回は、津野町の舞ノ川に残る山姥の祠にお邪魔します! 山姥さんの祠 基本的に山姥さんのお宅は、できれば冬場に訪問したいような山の奥が定番。 舞ノ川もなかなか奥まっていそうな雰囲気ですな〜。 トレッキングポールを持って出発です。 津野町は、高知県の中西部にあります。 高知駅からだと車で1時間強(←今問題になっている書き方ですね〜)といったところ。 とさみみ的には、 蛇ヶ淵(じょうがぶち) や、大わらじの 金剛バッコ など見どころたくさんです。 津野町は川のつく地名が多く、国道からの入り口も似ているので気をつけねばなりません。 前回、 桑ノ川の夫婦杉 を見に来たときに迷ってウロウロしたので、今回はナビを使って。 とりあえず「舞ノ川集会所」を目指すことにしました。 舞ノ川の山姥さま まずは物語の紹介。 伝説のテレビ番組『まんが日本昔ばなし』に登場したこともあるという伝説なんですって。 むかし、舞ノ川に清兵衛さんという農民がおりました。 貧乏でしたが、せめてお正月は子供たちに餅を食べさせたいと、年の暮れの28日に餅つきをしていました。 ある年のこと。 恒例の餅つきをしていると、白髪頭で貧しい身なりのおばあさんがやってきました。 「すまんが、わしの餅米もついてくれんかえ」 清兵衛さんは、 「ええともええとも」 と親切に、一緒についてあげました。 すると、一升の餅が二升、三升と増えたのです。 おばあさんは、たっぷりの餅を分けてもらって、 「どこへ行っても追っ払われたが、親切なのはおまえさんだけじゃった。また来年も来るからよろしゅう頼みます。」 と帰っていきました。 それから毎年12月28日になるとおばあさんがやってきて、餅をついて帰って行くようになりました。 それとともに、清兵衛さんの家は幸せが続き、だんだん家が繁盛しました。 思い上がる清兵衛 やがて十年もすると立派な蔵が立ち、村一番の長者になりました。 「わしが金持ちになったのは、一生懸命働いたからじゃ。あんなうす汚いばあさんを家に入れることはない。」 と、家人の反対を押しきって、1日早く餅つきを済ませてしまいました。 次の日、いつも通りおばあさんがやって来ました。 そして、餅つきが終わったことを告げると、 「やっぱり約束...

116. 皿屋敷異聞 リターンズ
 〈春喜さま〉

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  江戸時代に広まったとされる怪談『番町皿屋敷』。 家宝のお皿を割ってしまったために主人に殺されてしまった女中のお菊さんが、夜な夜な井戸から出てきてお皿を数える物語です。 一ま~い、二ま~い、三ま~い・・・ 恐ろしげな声で語られて肝を冷やした覚え、ありませんか? 昭和世代だけですか? 高知に残る皿屋敷伝説 高知にも皿屋敷伝説がいくつか残っています。 今回はその中のひとつ、南国市篠原にある「春喜さま」という祠に伝わるお話です。

115. 魚の精、人に恋をするの巻

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  『(ひざが)死ぬまでに見たい絶景』の回 でお邪魔した土佐清水市。 用事ができたので、2ヶ月ぶりのリターンズ。 土佐清水は、ユニークな風景がいくつもあるので見応えがあるんですよ。 ただ、ざまに遠いがやけん(←土佐清水の方も使う幡多弁。すごく遠いの意) 遠いけどおすすめの竜串 高知市から土佐清水市中心部まで、およそ2時間半。 今回訪れた竜串(たつくし)は、そこからもう30分ほどかかります。 移動で3時間はもったいないなんて言わず・・・ 同じくらいの時間で渋谷まで行けちゃうとか言わず・・・ この風景を見てほしいなあ。

114. 天翔る石船
 〈天忍穂別神社 〉

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  昔々、神さまが乗られた石船が降り立ったところにある神社                        なんと神秘的な伝説でしょうか。 鷹が飛んできたり、御幣が飛んできたり、蹴られた竜が飛んできたり、今までも飛来パターン様々ありました。 神さまが大空を石船でやってくるなんて、これまたドラマチック。 安直なイメージで浮かんだTOKIOの『宙船』を口ずさみながら出発です。 石船さまを訪ねる その神社の名は、天忍穂別神社(あまのおしほわけじんじゃ)。 石船さま、石船神社とも呼ばれています。 高知市中心部から車で30分くらいのところにある香南市香我美(かがみ)町にあります。 このあたりのミカンは美味しいことで有名。 「ミカン狩り」の看板もいくつか見かけましたよ。

113. (ひざが)死ぬまでに見たい絶景

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  いやはや、木立の間をくぐり抜けるとこんな絶景が広がっているなんて。 テレビや写真で見たこともあるのに、まさかここまでとは。 360度見渡してみなければ分からない迫力。 確かに拝みたくなるような雄大さです。

112. 悲劇の宰相か、はたまた鬼か

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  「米不足」「米の値段が高騰」という文字が、ニュース記事をにぎわせております。 最近の天候不順は深刻です。 そんな中、高知市の春野地区を通りかかったとき、実りかけた稲がそよそよと揺れている風景が広がっていました。 400年ほど前に、荒地に用水路を作る指揮をとった野中兼山さんと、実際に働いてくれた多くの人々に感謝やなあと、しみじみ思いました。 野中兼山さんのこと 山内家と親戚関係だった野中兼山さんが、土佐藩執政の座についたのは22歳。(一説には17歳) 他の年長者を差しおいてですから、さぞかし周りは面白くなかったことでしょう。 財政を確立するために、新しい田んぼを作り年貢を増やそうと仕事に邁進していきます。

111. この世のたごりは、わしがあの世へ

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  たごるのは、つらい 百日咳が流行しています。 激しく咳き込んだり、咳症状が長引いたり。 咳って体力使うので、しんどいんですよね。 家族などに咳の発作が起こっても背中をさするくらいしかできない、というのも辛い。 早く良くなるようにと願う日が続きます。 その気持ちは、昔も今も変わらないようです。 ご利益が「百日咳」や「たごり」という神さまが、高知県内あちらこちらおわします。 「たごり」とは、土佐弁で咳のこと。 咳が出るという動詞になると「たごる」になります。 今回は、「たごり」の神さまのひとつを訪ねてみることにします。 その神さまがおわすのは、奈半利町。 高知市から、車で1時間20分ほど東に行ったところにあります。 列車のごめん・なはり線の終点でもあります。 列車なら高知駅から約1時間半です。 ちょうど昨日、奈半利にすてきなゲストハウスがあるという情報を仕入れたところです。 『junos(ユノス)』さんっていうんですって。 古民家ですってよ。 『junos』さんのページはコチラ 懐の深いたごりの神さま たごりの神さまの話に戻りましょう。 その昔、勝道というお坊さんが喘息で、たごってたごって亡くなったそうです。 そして亡くなるときに、 「この世のたごりは、わしが全部あの世へ持って行ってやろう。」 と言い残したのだそうです。 「たごりで苦しむ者がいたら、わしに治してくれと願うがよい。」 と。 苦しい思いをしながら、他の人のことを思いやれるなんて。 さすがお坊さん。 頼り甲斐がありそうです。 奈半利町へ その勝道さんのお墓が、奈半利町の中里の極楽寺というお寺にあるのです。

110. 仁淀川のほとりで機を織る

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  令和7年7月7日とゾロ目日だった今年の七夕。 みなさん、何かお願いごとしましたか? 機織りが気になる 七夕の織姫さまといえば、機織りをしています。 恩返しをする鶴も、主に気に入られてしまい淵に落ちて帰ってこない娘さんたちも、ときには山姥も、みんな機で布をを織っています。 そして、たとえばお葬式から帰って喪負けをしないためとか、何かから身を守るおまじないに機織りの道具が使われたりもしていたらしいです。 伝説におまじない・・・身近な仕事でありながら、なにか神聖な感じがするんですよね。

109. シュクジさま、うつぼ舟にて現れる

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  うつぼ舟漂着譚 うつぼ舟、聞きなれないけど気になる響きじゃないですか? 広辞苑によると、大木の中をくり抜いて作った舟なのだそう。 うつろ舟、うつお舟ともいうそうです。 そのうつぼ舟で流れ着いた高貴なお人が、のちに神として祀られるという伝説が日本各地に残っています。 茨城に漂着したうつぼ舟はUFOだったのではと、最近ニュースになってましたね。 高知空港から少し東に位置する赤岡町。 ここに、うつぼ舟漂着伝説があるのです。 赤岡町といえば、グロい血みどろな芝居絵を描いた江戸末期の絵師・金蔵の絵を、夏の夜にロウソクの灯りで観る『絵金祭り』や、浜辺で日本酒をアホのように飲む(失礼)『どろめ祭り』などがある、ユニークな町です。 で、赤岡町のうつぼ舟伝説の舞台は、美宜子(みきこ)神社というお宮。 赤岡町の中心地より少し西の地区にあります。

108. 偉大なる祟り神に会いに行く 〜平将門公編〜

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  日本三大祟り神 なかなかインパクトのある言葉です。 なんでもすぐ『三大◯◯』とベスト3を決定したがる日本人。 祟り神までもがその対象になるなんて。 というわけで、三大祟り神。 崇徳天皇と菅原道真公、そして平将門公といわれています。 香川県では、崇徳天皇陵にお邪魔しました。 →コチラ 道真公のエピソードが残る高知県宿毛市にも行ってみました。 →コチラ 残る平将門さんのゆかりの地は、関東が主。 先日、東京に行ったついでに訪ねてきましたよ。 将門塚を訪ねる 高知では、平将門さんはあまり馴染みがないように思います。 平といえば、平家のイメージですかね。 前にとさみみの皆と『日本一の祟り神は誰なのか』を話したときに、他からは出なかった平将門さんを推したのは、東京育ちのメンバーだったのを思い出しました。 なるほど関東周辺での存在感は絶大なのだなと思ったことでした。 平将門さんといえば、『将門塚』と呼ばれる首塚が有名です。 ビジネス街である千代田区大手町のビルの一角にあります。 30年ほど前、「ここはマジでやばい」という噂を聞いてノコノコ見に行ったことがありました。 なにがやばいか。 そのころはまだフィルムカメラの時代だったのですが、首塚を撮ろうとするとシャッターが下りないだとか、現像したら真っ黒で何も写ってなかったとか。 首塚を何度か移動させようとしたけれど、その度に障りがあって無理だったとか。 戦後、GHQ(第二次世界大戦で敗戦国となった日本にやってきたアメリカなどの連合軍)が首塚を壊そうとしたら工事中に事故があり死者が出たなどなど。 当時、本や雑誌で読んだのであろう都市伝説の数々。 しかもうろ覚え。 まあ、そんなこんなでオフィスビルの中に薄暗く取り残されていた首塚に、ノコノコ行ってみたわけです。 そしてもちろん、びびって写真は撮れなかったわけであります。 そして30年ぶりの訪問。 首塚はとてもきれいに整備され、都会の違和感みたいな雰囲気ではなくなっていました。 今まで6回もの整備工事が行われてきたのだそうです。 カメラもフィルムからデジタルに変わり、ビビらずに写すことができましたよ。

107. お大師さんと三躰の薬師如来

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  弘法大師さま登場 前回は 『残酷舌鼻物語』 として、馬路村の七人ミサキをご紹介しました。 「ベライケさま」「ハナジョーリさま」の近くにあり、目印にさせてもらった金林寺(こんりんじ)。 このお寺にも伝説がありました。 みんな大好き弘法大師さま(←個人の感想です)の登場です!

106. 残酷鼻舌物語
 〈馬路の七人ミサキ〉

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  馬路村の七人ミサキ うららかな春の一日、馬路村に行ってみました。 馬路村の特産品は柚子。 柚子ドリンク“ごっくん馬路村”と、柚子ポン酢“ゆずの村”が美味しくて有名です。 町おこしが大成功している村なのです。 そんな馬路村での目的は、七人ミサキ。 またかよ、とか思いました?そう、またですよ~ 工場見学でいただいた“ごっくん馬路村”を飲みながら探索です! 見学させてもらった柚子の森加工場の西側に、金林寺(こんりんじ)というお寺があります。 どうやらお目当ての祠は、この付近にあるようです。 マップには載ってないので、ウロウロしてみます。 金林寺 今回の七人ミサキは 400年ほど前、長宗我部元親公が台頭してきたころの戦国時代の話なのだそうです。 そのころの馬路には、馬路若狭守さんとその父龍王守さんという豪族がおったそうな。 お隣の安田を治めていたのは、安田三河守さん。 戦国の世ですからいろいろありまして、安田方が隠密を送り込んだのですが、馬路方に捕らえられてしまいます。 七人はベラ(舌)を切り取られて殺され、一人は鼻をそがれて安田に送り返されたのだそうです。 おお痛い痛い。 その後、この土地にいろいろ不思議なことが起こるので、殺した七人の霊を弔って、七人ミサキと呼んで祀るようになったということです。 ベライケさま というわけで、金林寺の南側の坂を少し登ると「ベライケさま」を発見。 先ほどの話で、切り取ったベラ(舌)だけを埋めて祀ったといわれています。 このベライケさまを祀ってから、祠のあるところを残して周囲が陥没して池になったといわれているそうです。 現在はコンクリートで固められています。 イボのできたときにお願をかけると治るのだとか。 お願ほどきには、川魚を池に放してあげる風があるそう。 金魚が泳いでいて、ほのぼのした景色です。 ベライケさま それとは別に、室戸の金剛頂寺に人間に悪さをする蛇体がいたという話もあります。 弘法大師さまによって封じ込められて、金林寺の住職によってここに迎えられた、という説もあるそうですよ。 金林寺は、弘法大師さまのゆかりのお寺なのです。 ハナジョーリさま 「ベライケさま」からもう少しうろついていると、祠がいくつかありました。 もうひとつのお目当て「ハナジ...