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43. いろいろ凄い、高峯神社

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 さて、 前回 は高峯神社にまつわる言い伝えを書きました。 写真からも、なんかすごそうって雰囲気が伝わってきます。 これは、もう、行くしか。 高峯神社は、土佐町の安吉(やすよし)という地区にあります。 地図を見ると、高峯神社の山は922mと書かれています。 (のどQの見ている地図は明治時代のものなので、現在と高さが違うかも) ものすごい山道だろうことを覚悟して出発。 国道439号線からの入り口もわからないので、スマホに道案内を頼みます。 439号線は、日本三大酷道と言われてる酷い道らしいのですが、土佐町あたりは快適です。 山道に入ると、当たり前ですが、くねくね。 鬱蒼とした道が続きます。 思ったより山道が続くので、 「神様、よくこんなとこまで蹴っ飛ばしたな・・・」 と、ブツブツ。 ↑神様に蹴飛ばされた竜が落ちた場所という伝承アリ。詳しくは 『高峯神社と、宇佐の竜』の巻。 ずいぶん登りました。 マップもとうとう道と認識するのを諦めて、案内を勝手にやめてしまった模様。 道端に車を停めて、歩いてみることにしました。 森が深いというものでしょうか。 人間の領域ではないことを、肌で感じます。 神の領域、天狗の領域、はたまた獣の領域。 「お邪魔いたします」という気持ち & 何か出そうと辺りを警戒。 少し歩いてもまだまだ道は続きそうなので、もう少し車で行ってみることに。 すると、駐車場っぽい広場がありました。 神社が近いのだろうと、また車を置いて歩いてみます。 そして少し進み、これは違うとまた戻る 笑 腹を決めて、車で行けるとこまで行ってみることにしました。 恐る恐る進みます。 こんなとこ、行き止まったらバックできないぞ。 「神様、なかなかの所に蹴っ飛ばしたものやね・・・」 つぶやきも止まりません。 電波塔が見えて、ほっと一安心。 人が時々来ているはず。 車を回す場所もあるでしょう。 と、先に目をやると、神社の雰囲気をキャッチ。 たどり着いたーー。 まだ新しい鳥居のそばに、狛犬ならぬ狛鳥が。 普段見かけない、凝ったポーズです。 阿吽ではなく、一体だけなのも気になるところ。 たぶん鷹だと思うのですが、格好いいです。 あたりの空気は、凛とし...

42. 高峯神社と、宇佐の竜

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  ものすごい神社へ行ってきました。 土佐町の高峯(たかみね)神社です。 なにがすごいって、神社の建っている場所がかなりの山の上。 行き着いた御社殿も、想像以上。 資材を運ぶのが難しそうなこの場所に、こんな立派な御社殿がある事に恐れ入ってしまいました。 この神社のことを知ったのは、『とさちょうものがたり ZINE 』という雑誌でした。 もともと土佐町は、高知の中でも面白い試みをしている印象のある町です。 とさちょうものがたり編集部が作って、土佐町役場が発行しているこの雑誌。 写真も内容も、本当に良いんです。 写真は、風景もポートレートもずっと眺めていられる素敵さです。 自分の周りのきれいな景色、自分の周りの人たちの物語、足元にあるものの良さを再認識させてもらえます。 ウェブサイトは今年、地域再生大賞・優秀賞にも選ばれたんですよ。 とさちょうものがたり→ https://tosacho.com そんな『とさちょうものがたり ZINE02 』に、高峯神社の伝説が載ってたんです。 「その昔、土佐市宇佐(うさ)の海の沖に竜が居座ったことがあった。 漁師たちは魚が取れなくなり困窮し、海神様に相談に行った。 海の神は民の声を聞き、竜に近づきおもむろに蹴っ飛ばした。 それでようやく民は魚を獲ることができるようになった。 めでたしめでたし。 この竜がいたところ、それが宇佐町の竜(りゅう)という地名になっている。」 そして、この竜が飛ばされてきたところが、そう高峯神社なのだそうです。 蹴っ飛ばすって 笑 言い伝えの中の神様ってユニークですよね。 これを読んで行ってみたくなったんです。 宇佐の竜の浜 『土佐町史』には、別の話が載っています。 まず、話は白鳳地震(684年)で沈んだとされる、高知の伝説の集落「黒田郡(くろだごおり)」まで遡ります。 その黒田郡に三宝大神がありましたが、白鳳の大地震で海に沈んでしまいました。 神々は、真砂に乗って北の三宝山にたどり着きました。 三宝山は、高峯神社のある山です。 ところが、竈戸神だけは溺れてしまい、土佐市宇佐沖の海底の岩屋にとどまりました。 海中より出たい一心で、竈戸神は光を放ちました。 その光のために魚が取れず、漁民は困り果てました。 ある漁師が、汚物を石にく...

39. 大川村の『おんびき神様』

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  前回は、ヒキガエルが家を守ってくれる縁起物であるという話でした。 そして、別名のひとつ『クツヒキ』が、当時の百日咳の呼び名『クツヒキタゴリ』と同音だったためか、ヒキガエルに似た石を百日咳の神として信仰する習俗があった─── ここまでが前回のあらすじ。 よかったら読んでみてね→ 『名前がありすぎるカエルの話』 実際『オンビキ岩』や『オクツ神』として信仰された大きな岩が、県内各地にあったそうです。 南国市前ノ浜の伊都多(いずた)神社の北隣にも、『オクツサマ』と呼ばれ百日咳の信仰があった岩があるというので行ってみました。 でも、見ただけでは分からず。 今でも怖い病気ですが、小さいうちにワクチンを打つので流行することは無くなりました。 それと共に、お参りする人もいなくなったのでしょう。 百日咳の信仰以外にも、ヒキガエル型の岩は各地にあったようです。 芸西(げいせい)村の『蟇石(びきいし)』は、山で生活する人々の目印となっていたようです。 昔の地図を見ると、小字として「蟇石」「上蟇」「東蟇石」と出ているそうなので、かなりの存在感だと思います。 門脇鎌久さん著『広報芸西コラム全集』に、所在不明になっていた蟇石を探しあてる話が出ていましたよ。 そして、大川村のHP『でぃぐ!大川村』に「おんびき神様」なるものを発見。 やはり百日咳の神様なのかしら。 ものすごく気になります。 『でぃぐ!大川村』おんびき神様のページ 気になって仕方ないので、『でぃぐ!大川村』さんに問い合わせてみました。 すると、丁寧に答えてくださいました。嬉しい。 HPもおしゃれなので、行ってみたくなります。→ 『でぃぐ!大川村』 何はともあれ、まずは「おんびき神様」に行ってみたい。 高知市はそれほど雪が降りませんが、山間部はそうでもありません。 雪も降るし、道も凍ります。 なので、寒い時期は自粛して暖かくなってから行ってみました。 大川村といえば、かつての村の中心部が早明浦(さめうら)ダムに沈んでしまった村なのです。 四国の水瓶と言われるだけあって、大きなダムです。 しかし、水不足になると大川村役場がダムの底から姿を現します。 ちょっと切ない風景。 そのダムができる前の話。 吉野川の中洲のような場所に石があったのだ...