前回は、宿毛市の湊浦に伝わる皿屋敷伝説を探ってみました。→ 前回はコチラ そしてお話の中で、夜な夜なお皿を数える女中の霊を祀った小堂を、庄屋の息子が荒瀬の地蔵堂のわきに移した─────ということで、やってきました地蔵堂。 地元の方たちがよく手を合わせにきているんだろうな、と感じられるお堂です。 目的が”地蔵堂のわき”だったために、お堂本体への興味が二の次になってしまってましたが、落ち着いて見てみると・・・お堂の方からも伝説の香りがしてきましたよ・・・ まず、今から千年余り前に、この地域に金龍寺と金蔵寺という2つの寺院があったそうです。 数百年続きましたが、一時は無住寺になっていました。 1628年に伏見の国(京都市南部)からやってきた兄弟が、修行を重ねたのちに住職になられたようです。 当時は、本尊の地蔵菩薩は秘仏だったそうですよ。 しかし、明治3年の神仏分離統合により廃寺となったということです。 でも、お地蔵さまは残ります。 金蔵寺の子孫の方によって祀られていましたが、現在は地区の方々で奉祀されているとのことです。 延命子安のお地蔵さまだそうです。 お堂の中には、産着が何枚も奉納されていました。 祈りって自分以外の人の健康や成長を願うことって多いなあと、ぼんやり考えました。 誰かに祈ってもらえるって、幸せなことですね。 それにしても、皿屋敷伝説に出てくるくらいですから、ご利益がありそう。 皿屋敷の年代的に、その頃は地蔵堂ではなく金蔵寺あったんじゃ?というツッコミは飲み込んでおきますね。 そして、最初に探ったお堂のわき。 お墓っぽい石とお地蔵さまがおられます。 そのお墓っぽい石は、金蔵寺の住職・行海さん(兄弟のお兄さんの方)のお墓だそうです。 皿屋敷の小堂関係ではなかったようです。