投稿

ラベル(@香美市)が付いた投稿を表示しています

101. それいけ!轟の滝

イメージ
  2025年4月から、朝の連続テレビ小説『あんぱん』が始まります。 やなせたかし先生のふるさとであり、アンパンマンミュージアムもある香美市香北町(かみしかほくちょう)。 自然豊かで、穏やかないいところです。 その香北町には滝がいくつかあるんですが、今回はのどQおすすめの『轟の滝』を紹介します。 まあ、のどQがすすめるまでもなく「日本の滝100選」に名を連ねるくらいの景勝地なんですけれど! すてきな滝って山奥にあることが多いんですよ。 当たり前のことですが(汗) 『轟の滝』への道中は、山道にしては少し広め。 狭くなるところもありますが、走りやすかったです。 到着したら、駐車場もトイレもあり◎ 季節のよっては茶屋も開いているみたいですよ。(真冬なので閉まってました) 駐車場から少し歩くと滝の音が聞こえ始めて、展望台に到着。 そこから滝の全景が見えます。 白亜紀の礫質砂岩(れきしつさがん)の断崖を、三段になって落下する美しい滝。 落差は約80メートルです。 青く静かな滝壺に、ゾクっとしてしまいます。 特に上段の滝壺は、径約15メートルの円形の甌穴なのだとか。 (↑難しい言葉は、ぜーんぶ案内板の受け売りデス)

96. 続・久保村の伝説

イメージ
  天明8年(1788年)の山崩れに巻き込まれ無くなったといわれる久保村(現在の香美市物部町)の話の続きです。 豪胆不敵の豪傑だったといわれる、久保家の当主であった源兵衛さん。 ヌシが住むといわれ誰も近づくことのなかった轟の釜で、『から川流し』と呼ばれる漁をしたことで山崩れを引き起こしたという伝説が残っています。 くわしくは 『久保村の伝説』の回 に紹介しています。 『久保村の伝説』のときは分からなかった『から川流し』。 何かを流して、気絶するか死ぬかして浮き上がってきた魚をとるという漁法。 山椒を使うところもあるという話でした。 「空川流し」と書くようですが、別名「唐金流し」ともいうそうです。 或種の金属を粉末にしたもので、これを水中に投げ込めば、水中の生魚はことごとくその種族を絶つという不思議な劇薬なのだそう。 なんの金属なんだ・・・それにしても大胆な漁法です。 前回は、その山崩れで生き残った方々が祀ったという久保神社に行きました。 物部(ものべ)町に行く機会があったので、今回は久保村のあったあたりに行ってみましたよ。 物部町には、平家伝説もいろいろ残っています。 山に挟まれた深い谷間のところどころに集落がある印象。 隠れ里という言葉がしっくりくる集落も多いです。 谷間を流れる川は、ゴツゴツした岩ときれいな水で美しい風景。 これに紅葉が加われば、のどQでもカレンダーのような写真が撮れそうです。

80. ミサキを訪ねて
 〈比江山神社 編〉

イメージ
  前回の続きでございます。 長宗我部元親さんの後継問題で切腹させられた比江山掃部介親興(ひえやまかもんのすけちかおき)さん。 その後、数々の怪異が巻き起こります。 当時も怪談がささやかれて後の時代まで恐怖が残るなんて、かなりセンセーショナルな出来事だったのでしょう。 そのあたりは前回の『 比江山の七人ミサキ 』に書いております。 そんな比江山親興さんゆかりとされる比江山神社が三つあります。 ひとつは、親興さんが城主だった比江山城跡にある比江山神社。 ふたつめは、夫人と子供たちが亡くなったとされる香美市新改(しんがい)にある比江山神社です。 もうひとつは、高知市升形の出雲神社の境内にあります。 今回は、そのうちの二つの神社をめぐってみようと思います。

79. 比江山の七人ミサキ

イメージ
  災害や事故、水難などで亡くなった人の霊を祀ったものを『七人ミサキ』と呼びます。 七人であることが特徴です。 『 怪異!七人ミサキ 』の回では─── 野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っている。 ↓ 生きている誰かに取り憑いてその人が死ぬと七人のうちのひとりが成仏できる。 ↓ 新たに加わったメンバーと共に七人で彷徨う。 という怪異───と書きましたが、それだけでもない模様。 各地に色んなバージョンがあるようです。 そんな中、高知県で一番有名な『七人ミサキ』といえば、吉良左京進親実(きらさきょうのしんちかざね)さんと比江山掃部介親興(ひえやまかもんのすけちかおき)さんの話です。 今日は、比江山親興さんの話を掘り下げてみたいと思います。 この話は、まず長宗我部元親さんが支配していた頃から始まります。 400年以上前の戦国時代です。 戸次川の戦いで長男を亡くした元親さん。 二男・三男よりも、お気に入りの四男の千熊丸に跡を取らせたいと言いはります。 二男さんが病死した後、三男の親忠さんを推したのが『七人ミサキ』のメインとなるお二人、吉良左京進親実さんと比江山掃部介親興さんです。

75. 山姥さん、お邪魔しま〜す
 【一】 毘沙門の滝

イメージ
  伝説巡りをしていて、「山姥」とつく地名があちこちにあるのが気になり始めました。 住んでいたといわれるところも多く、さまざまな伝説が残っています。 滝や断崖、岩などに住み、飛ぶことができるとされる山姥。 金太郎のお母さんも山姥なんですよね。 昭和世代にはおなじみだったアニメのひとつに『日本昔ばなし』があります。 日本各地に伝わるお話を、毎週2つ放送してくれていました。 その『日本昔ばなし』のインパクトが強かったので、山姥といわれて思い出すのは、赤茶色のぼさぼさ髪でガタイが良くてお餅食べている姿になってしまっています。 山姥とは何なのか、山姥の風貌はどうなのか。 答えなど出るわけはないんだけど、興味は尽きません。 高知県にも山姥話はいくつもあります。 と言うわけで、お宅訪問してみることにしました。 山姥さん、お邪魔しま~す! 今回お邪魔するのは、南国市岡豊にある毘沙門の滝です。 この滝の入り口の右側の大岩にお住まいになっていたそうです。 毘沙門の滝は『龍王院』という縁切寺の近くにあるようなので、お寺を目指します。 縁切寺という響きからひっそりとした雰囲気を想像していたのですが、ものすごくピカピカした印象のお寺が現れてびっくりしました。 山の中の神社に慣れた目には、眩しいくらいです。

73. 久保村の伝説

イメージ
  今回は、いきなり伝説から始まります。 その昔、物部の久保村(現在の香美市物部町)に久保源兵衛さんという男がおりました。 冬谷という川にある轟の釜という渕には、昔から恐ろしいヌシが住むといわれていたそうです。 源兵衛さんは豪胆な男でしたので、轟の釜のたたりにまつわる恐ろしい話を一笑に付し、 「明日は冬谷で『から川流し』を行い、ヌシなどいないと証明しよう」 と宣言しました。 『から川流し』とは、劇薬を川に流して魚を取る方法だそうです。 昔からあった漁法のようです。 でも人間にとっては劇薬にならないものなのでしょうね。 サンショウなどを流すらしいですが、このお話では何を使ったのかは分かりません。 とにかく劇薬を流し入れると、半時もたたないうちに魚たちが白い腹を見せてぷかぷか。 その晩は、源兵衛さんの屋敷で大宴会です。 魚づくしだったことでしょう。 翌日、恐ろしいほどの大暴風雨が久保村を襲います。 大雨と雷鳴が一昼夜続き、ついに源兵衛さんの屋敷の裏山が山崩れを起こしました。 恐ろしい大音響と共に、一瞬のうちに崩れ去ったといいます。 久保源兵衛さん以下 28 名が亡くなった、天明 8 年( 1788 年)の『久保の大崩え(おおつえ)』です。 7 月 22 日から 25 日にかけて降った大雨による山崩れと記録されています。 山の多い日本。 地滑りや土砂崩れのリスクは常にかかえています 久保村が一瞬で無くなってしまった恐ろしさ。 文明が少し進んだ現代においても、自然災害を前にして感じる無力さは同じです。 このお話、久保大八さんバージョンもありまして。 久保大八さんは、なかなかの大男で村の殿様のように威張っていたようです。 ある時、『サンショウ流し』をすると言い出しました。 村の人たちは大八さんの言いなりなので、村中で準備しました。 あと 3 日でサンショウを川へ入れるという日の晩のこと。 大八さんの夢枕に美女が立ちました。 「私はこの川の渕に住む蛇です。 今、子供をかえしているところです。 どうぞサンショウ流しだけは見合わせてくだされ。」 と涙ながらに頼みますが、大八さんは耳を貸しませんでした。 その日から遠くで「ソライクゾー、ソライクゾー」という声がかすかに...

67. 大栃ごりやくさん巡り

イメージ
  一年に一回、高知県立歴史民俗資料館が集めた資料を一般公開してくれるイベントがあります。 今年のタイトルは『むかしの道具とものべの文化』展。 会場は香美市物部町の旧大栃高校です。 むかしの暮らしや仕事で使われていた道具を見せてもらえたり、空から見た物部の風景の写真コーナーや、物部の民話コーナーなどもあり興味深いイベントです。 今年のチラシに『大栃ごりやくさん巡り』の文字が。 「ものべ民話と歴史の会」の公文素子さんという方が案内してくれるというのです。 地元の方に案内してもらえるなんて、夢のような企画。 うきうきで予約。 11月11日、晴れ。 寒くなると言われていましたが、予報は外れて暖かい日になりました。 20人ほどで穏やかに出発です。 いただいた資料は森下さんという方が書かれた手書きの地図です。 おととし物部を探索した時にも見かけて気になっていた地図でした。 民話的なことや花のきれいな公園情報、動物出ますとか紙面いっぱい書いてくださっているので、ガイドブック代わりに持っていくとより深く楽しめると思います。 四国森林管理局のHPに『四国の山々たんね歩記』というタイトルで載っていますよ。 今回は『大栃ごりやくさん巡り』のために書いてくださったものなのだそう。 頭が下がります。すばらしい。 → 四国の山々たんね歩記はコチラ まずは『凢内(おおち)八幡』からです。 最初の印象はもちろん、なんだこの漢字は!?でした。 物部には、凢内さんという苗字があるのだそうです。 八幡さん自体は、公園の隅にある小さな神社でした。 この公園は春になると桜がきれいなんだそうですよ。