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105. 元祖とか本家とか
 〈天石門別安國玉主天神社〉

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  元祖か、本家か         時々、人気のお店などで勃発するこの問題。 消費者にとっては、そっちより美味しさの方が重要なのですが。 計り知れないそれぞれの事情があるのでしょう。 神社にも「どちらなのか?」問題があったりします。 高知でいえば、天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけのやすくにたまぬし かみのやしろ)。 越知町の黒瀬に1社、その下流のいの町神谷(こうのたに)に1社あります。 決して元祖と本家の争いではないのですが、翻弄されてしまった歴史がありまして。 どちらも地元の方に親しまれている、古い神社であることは間違いありません。 むしろ、それゆえに振り回された感があります。

104. 初雷と、節分のお豆

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  気がつくと4月! 「1月は往ぬる、2月は逃げる、3月は去る」というように、本当にあっという間。 最近の1月は、なじみのない「往ぬる」より「行く」に変わってきているのでしょうか? そんな3月の末に、雷が鳴った日がありました。 この時期に雷が鳴ると思い出す話があるのです。 高知市の土佐山地区では、節分の豆を神棚に祀っておいて初めて雷が鳴った日に食べる、という風習を残しているお家があるそうです。 知り合いの家には小さなお子さんがいて、お豆を食べるのを楽しみにしていたとのこと。 その年の初雷は、なぜか午後2時くらいに一回こっきりゴロゴロと鳴って収まりました。 のどQはちょうど静かな場所にいて、「雷イヤやな」と思ったので覚えてました。 でも、忙しい大人は聞き逃してしまうレベルのもの。 しかし、そこはお豆を楽しみにしているお子さんのこと。 はっきりと聞いてました。 家に帰って、お母さんに報告。 豆を食べる気まんまんです。 なのにお母さんの耳には雷の音は届いておらず。 「お豆が食べたいきってウソはいかん」 なんて言われてしまいましたとさ。 残念。 もうお豆を喜ぶ年齢でもなくなったかもしれないけど、初雷を聞くと「あの子は今日お豆を食べるのかな」と微笑ましい気持ちになるのです。 この風習、もう少し難易度の高いものもあるらしいのです。 UFO事件でおなじみの介良(けら)あたりの話とのこと。 その年の節分に煎った大豆を『鬼の目』と呼ぶのだそうです。 毎年最初に雷が鳴った瞬間、真昼であろうが真夜中であろうが、時間をとわずいつでも鬼の目を家族一同で一粒づつ食べるのだそう。 その時家族の誰かが不在の時は、その分だけ残しておくのだそうです。 昔は更にこの鬼の目を大神宮に祭り戴いたとのことであるから、なかなかに厳粛。 この鬼の目を食べておけば雷に打たれないということらしいです。 ずいぶん昔の本に載っている話ですが、現在も守っているお家があるのかもしれませんね。 高知県の西部を「幡多(はた)」と呼びますが、『幡多郡誌』に雷の迷信がいくつか載っていました。 「雷は神である」 雷神・風神の絵、思い浮かびます。 「雷は雷獣と称するテンのごとき動物である」 意外にかわいいなあ。ピカチュウか? 「雷はへそを好み、...

100. マムシにまつわるエトセトラ

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  巳年ということで、今回はマムシについて書いてみたいと思います。 ヘビ嫌いの方、ごめんなさい。 山の方に住んでいると、ヘビに遭遇することもよくあります。 都会では、ヘビも出ないんだろうなあ。 身近にいるヘビの中で、毒を持っているのがマムシとヤマカガシです。 ヤマカガシは毒牙が奥の方にあるので、よっぽどじゃないと咬まれないと聞いたことがあります。 咬まれるのは、ほぼ小中学生の男子なのだとか。 いたずらするんでしょうね。 マムシは落ち葉などに同化して動かず、気配がなかったりするので要注意です。 そういえば何人かで山道を縦に並んで歩くとき、マムシは一人目に驚いて二人目に咬みつくっていいます。 二番目をみんなで譲り合うというお約束。 田舎あるあるですか? 本当かどうか分からないまま譲り合ってます。 マムシは匂いでわかる、という人もいます。 昔の人は、「おしろい」の匂いがすると言っていたらしいです。 ファンデーションしか使わない今の時代、「おしろい」の香りがわからないんですよね。 越中富山の「万金丹」という薬の匂いだという話もあるようですが、コチラも嗅いだことがない・・・ とにかく、独特の匂いがあるようですよ。

88. 草履の呪力を知ってるかい?

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  本来の役目を果たしながら、魔除け・厄除け・厄払い・厄落としにもなるアイテム。 あらゆる災いを近づないためのおまじないに使われてきたもの。 それが       草履    草履  草履  草履 ・・・・・ そう、草履(ぞうり)です。 昔のことを調べていると、おまじないなどにやたらと草履が出てくるんです。 ちなみに、草履とはワラやいぐさで作られたビーチサンダル型の履き物です。 草鞋(わらじ)と間違えがちなのですが、ヒモでしっかり固定できる方が草鞋ですね。 きっと草履の方が日常的に履かれていたのでしょう。 今回は、そんな草履のおまじないをいくつか紹介します。 気をつけて見ていると、道端に竹に付けたお札が立てられていることがあります。 これは『道切り』とか『辻切り』といい、村や町の境から魔や疫病などの災いが入ってこないようにというおまじないの習俗です。 高知では少ないですが、道の上にしめ縄が張られていることもあります。 その『道切り』に草履や草鞋が使われていることがあるんです。 木にぶら下げられていたり、置かれていたり。

86. ミサキ避けのお地蔵さん

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  このブログでも何度かお話ししてきました『七人ミサキ』。 災害や事故、水難などで亡くなった人の霊、もしくはそれを祀ったものを『七人ミサキ』と呼びます。 七人であることが特徴。 いわゆる憑きものの一つですが、海や川で不慮の死を遂げたときにいわれることが多いようです。 高知の話が有名ですが、愛媛や他のところにもあるようです。 よく言われているのは、野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っていて、生きている誰かに取り憑きます。 取り憑いた人が死ぬと、七人のうちのひとりが成仏できるというもの。 新たに加わったメンバーと共に、また七人で彷徨うという話です。 こういう自分たちにも降りかかるかもしれない怪異はどうしても怖いですよね。 身の回りで不運なことが起きるかもしれないとき、人は回避術を作りだします。 ジンクスやおまじないですね。 例えば誰かが死ぬ夢を見たとき、他の人に話したら正夢にならないとか。 親の死に際に立ち会いたかったら、霊柩車や救急車を見たら親指を隠せとか。 恐ろしい『七人ミサキ』に回避術はないものでしょうか? なんと、いの町にミサキ避けのお地蔵さんがおわすとのこと。 仁淀川の河原ということで行ってみました。 国道33号線沿い、いの町「紙の博物館」から仁淀川橋までの真ん中くらいのところに、土手に登る階段があります。 土手に登り仁淀川を見下ろすと河原があり、そこにおられましたよ。 夏なので野の花が咲いていて良い風景です。 近くの木陰も涼しそう。 近所の方の散歩コースなのでしょうか。 台座の割れ目に小さな花が飾られていました。 街の日常に溶け込んだお地蔵さん。 温かい気持ちになりました。 でも、昔はうっそうとした竹やぶが茂っていて、怖いところだったそうですよ。 良い風景になっててよかった~ 外へ出ていて、わけのわからない病気にかかったり、不測のケガなどをすると「ミサキがついた」と騒いだのだそうです。 もう「ミサキがついた」とは言いませんし、病気やケガのときには病院へ行きます。 しかし、それが何回か続くと必ず「お祓いしてもらったら」と言う人が出てきます。 薄れてはいますが、考え方は残っているのを感じるときがあります。 日常のあちこちに現れるミサキ。 そのミサキがつくのを守...