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27. いざなぎ流日月祭/1999年 のこと

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1999年3月1日から4日までの四日間     
民間信仰『いざなぎ流』の大祭「日月祭」が、執り行われました。


 物部村(ものべむら/現在は香美市)で古くから受け継がれてきた『いざなぎ流』。
 陰陽道、神道、仏教などが入り混じった、土着の民間信仰です。  起源ははっきりしないそうで、平安時代末期までさかのぼるのではないかと言われています。  しかし、過疎や高齢化の波は、物部村にも。
 最後の大祭になるかもしれないと、公開してくれる事になりました。
 なかなかのご決断だったのではないかと思います。
 見逃すわけにはいかないと、全国各地から研究者の方たちがいらしていたようです。 

 のどQは、京極夏彦先生の『姑獲鳥の夏』や『魍魎の匣』などで陰陽師なるものを知ったクチだったような気がしますが、昔のことなので曖昧。
 とにかく、陰陽道?大祭?行く!
 くらいの、好奇心のみで見学させてもらいました。   初日から三日目までは、御幣や調度を準備、村内のあらゆるところに宿る神様をお祭りして、祭典に備えたのだそうです。
 そして、四日目。
 祭典は、市宇の十二所神社で行われます。


 到着した時には、神社はたくさんの人で賑わってました。 
あいにくの雨で、神社の階段もよくすべります。(というか、すべってこけたらしいけど覚えていない)
 傘が手放せない、寒い夜でした。
 
 御祈祷は、祝詞も真言も入っている感じが不思議だったのを記憶しています。
 リズミカルな太鼓に合わせて、とにかく揺れる。
 フッサフサに紙を飾ったかぶりもので、顔も見えない人たちが揺れる揺れる。
 絶対トランス状態!と、覚えたての格好いい言葉を使ってみたりして。
 同じリズムの中でずっと揺れていたような印象です。 


祭典の途中、ふと前の人を見ると、指なしの革手袋をしています。 
これは、京極先生のトレードマークでは・・・
 いやしかし、まさか、ここに?
 そうだろ、違うだろを何往復かして、声を掛けてみるとご本人でした。
 大興奮で写真を撮ってもらって、今でも宝物です。 


今でこそ『いざなぎ流』の本なども多数出ていて情報も入りやすいのですが、当時は知られてないことも多く。
 しかも、不勉強なこともあり、『日月祭』が何時まで続くのかもわかりません。
 なので、ある程...

26. 奥物部へ 其の二、十二所神社

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いざなぎ流企画展を堪能した奥物部美術館を後にして、紅葉の名所べふ峡を楽しみつつ30分ほど更に東へ向かいます。目的地はここ、市宇の十二所神社。 人っ子ひとりいません。境内の奥では工事中なのか、工事を途中でやめたのか、森が切り倒されてただ広いだけの空き地があるばかり。15年前、ここで日月祭が行われた時は広い境内にそれは大勢ひしめきあっていたそうですが。 当時の祭りに参加したのは我らがとさみみ部部長、のどQ氏。証拠写真はこちら。 今や絶滅危惧種のアナログ写真、懐かしいですね〜。1999年3月4日となってます。 ホラー作家の京極夏彦氏もこの日来られていたそうで、一緒に写真撮ってもらったとのこと。その時の写真、こっそり見せてもらいました。京極さんが…若い……!!! 本殿の屋根の下に、雨風にさらされて下半分ほぼ消えてしまっている寄付一覧板がかかっています。この地域、日本トップの雨量を誇る高知県の中で最も雨量の多い魚梁瀬とほぼ同じ場所にありますからね…。(※マップ上は近いものの、あまりにも山深いため魚梁瀬と物部を結ぶ山越えの車道は存在しない)これを拡大して見てみましょう。 中央あたりに発見しました。「京極夏彦 埼玉県」 いざなぎ流の第一人者、小松和彦先生のご芳名は探せど見当たらず。 消えてしまった下半分に載っていたのかも。 高知の田舎がどこもそうであるように、物部も限界集落だらけです。 にも関わらず、神社が多い。祠も多い。 通り過ぎるだけでもそうとわかるほど、どこもきちんと祀られている。 これはかなり凄いことなのではなかろうか。だって、人、本当にいないんですよ。 草をひき、榊を取り替え、御社を維持する、これは数人が頑張ったところでどうしようもない。集落が昔ながらの形でちゃんと息をしているんです。 今回はちゃんと立ち寄った神社は二社だけですが、次回はもっとぎっちり調べに来よう。 そしてべふ峡温泉にも入ろう。と決意したことでした(笑) さて、立ち寄ったもう一社、ここもまた十二所神社でした。 本殿にご挨拶したあと気づきました。社の両脇を固める狛犬ならぬ、狛鳥がいる! 鳥居の両側に狛犬もいるんですが、ここにきてまさかの狛鳥に、我々大興奮。 鷹でしょうか、素晴らしく凛々しい。眼差しは確実に外へ向いています。 羽の質感のリアルさはこれちょっと写真ではお伝えできないですね。 撫でたくなりました...

24. 奥物部へ 其の一、いざなぎ流企画展

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民俗学の小松和彦先生の著作により全国区に知られることになった、高知県物部に伝わる民間信仰、いざなぎ流。 小説やコミック、映画などの創作媒体で「陰陽師」が流行した頃からでしょうか。陰陽道の要素たっぷりのいざなぎ流は国内外のマニアから熱烈な視線を集めるようになりました。 物部を擁する香美市は、このいざなぎ流を自治体単位で全面的に推してます。いざなぎ流の伝承者である森安太夫を筆頭に、香美市主宰のイベントで御幣切りワークショップを開くなんてこともありました。この文を書いている私はワークショップに参加すること二回、五年前の「日月祭」に偶々参加すること一回。いざなぎ流に魅せられた人々の末席でうろうろしている一人であります。 先日、竜笛奏者の方からいい情報をもらいました。奥物部美術館でいざなぎ流企画展をやっていると! ということで早速、とさみみ部員同士(日月祭に参加経験のある者同士)で車に乗り合わせて、遥々奥物部へやってきました。 写真展示以外撮り放題、山のような御幣の数々。垂涎。 山の神の御幣。 小刀で、下書きも目印もなく美しい形を切り取るには長年の熟練がいる。   十二のヒナゴ。日月祭の祭場は注連縄で囲われ、その四方に三つの顔を持つヒナゴが飾られ、注連縄の中に悪いものが侵入してこないように、にらみをきかす。※展示説明文より。 日月祭会場に行った際、混雑していたので小高い場所で見学しようとしていたところ、この場にいる者はヒナゴが飾られた場所より頭が低い場所になければならないと教えて貰いました。 御幣は自然の精霊をかたどる重要な依代です。これをワークショップで作った時、太夫さんに言われました。 「祀ったらしまいやき、せれらん。」 祀ったら最後まで面倒みなければならない羽目になるから、拝むな、祭壇に飾るな。子どもの遊び道具としておいておくならまあ良しと。ただ、山や水の神の幣は、それでも室内には置くべきでないという解釈をされる太夫さんもおられて、意見は太夫によっても異なる様でした。 当時、ワークショップ一回目に私が作った恵比寿と天神の御幣は、完成して机を離れたわずかな間に何者かに盗まれるという事件が発生、その後太夫さんが同じ弊をその場で作ってくださったというありがたい曰く付きでした。(数年後、二回目に作った御幣を持ち帰ってきたときにお焚き上げしました)  ...