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98. 面白き伝説の山、虚空蔵山

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  土佐市と須崎市と佐川町にまたがる虚空蔵山(こくぞうさん)。 頂上に電波塔が何本か立っているので、遠目からもわかりやすい山です。 土佐市の戸波(へわ)や須崎市では、虚空蔵山に雲がかかると雨が降ると言われているそうですよ。 標高は675m、頂上付近からの眺めは最高です。 目の前には横浪半島、その向こうには広々とした太平洋。 天気がいいと、遥か遠くに室戸岬や足摺岬が見えるのだとか。 いやあ、とにかく気持ちがいい景色。 山なんて登りたくないって方にも朗報、車でも行けちゃいますよ。 虚空蔵山の中腹(山頂に近いと思われる)に、鉾ヶ峯寺(ほこがみねじ)というお寺があります。 本によっては「鉾」が「矛」になっていたり、「峯」が「峰」になってたりしますが、今回はお寺の看板(山号というのかな)に従っておきます。 地元では作物を守る本尊として古くから厚い信仰を寄せているという鉾ヶ峯寺。 毎年3月21日に春季大祭が行われているそうです。 五穀豊作の大祈願もあり、お百姓さんたちに大人気のお祭りだったようです。 昭和38年の高知新聞には、「行楽と信仰かね一万五千人の人出」という記事が。 出店も出て、終日アリの行列くらいの参拝客でにぎわっていたそうですよ。 山道に一万五千人って! 当時が偲ばれる手書きの看板 その春季大祭では、稲の占クジなるものがあるそうです。 早、中、晩稲の豊凶を占って決めるのだとか。 つまり、その年は稲を作り始める時期が早いほうがいいか遅いほうがいいかを占うってことですね。 天気予報が発達した現代でも、お米の不作のニュースはよく耳にします。 仏さまに決めてもらうと心強さがワンランクアップしそうですね。 今も占クジをやっているという話を小耳にはさんだのですが、確かめてはいません。 お祭りの時期でもない平日の鉾ヶ峯寺は、侘び寂び感がただよういい佇まいの山寺。 広い境内は静寂な雰囲気で、まるで絵のようです。 夏休みの図画の宿題にぜひおすすめしたい。 鉾ヶ峯寺 この虚空蔵山には、もうひとつ壮大な伝説があるんです。 それは、約2200年前、秦の始皇帝の頃の話です。 秦の始皇帝と言われてもピンとこないかもしれませんが、漫画『キングダム』の嬴政(えいせい)といえばなんとなく分かる方もいるのではないで...

95. つわものどもが夢の跡
  〈吉良神社・蓮池編〉

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  前回にひき続き、吉良左京進親実(きらさきょうのしんちかざね)さんのゆかりの地を訪ねます。 →前回『ミサキを訪ねて〜吉良神社編〜』 親実さんより100年ほど後に活躍された儒学者・神道家の谷秦山(たにじんざん)先生が、 「文をもって民を導き、武をもって邪を退け、名君の称あり、領民皆心服し厚く敬せられる」 と著書の中に記したように、親実さんは文武ともに優れた方だったようですね。 かわいそうというフィルターがかかって、親実さん寄りの話が多いのかとも思いましたが、それだけではないのかも。 今回は、名君だった説を裏付けるようなサイドストーリーを紹介します。 親実さんは吉良城と蓮池城の城主であり、蓮池左京進とも呼ばれていたそうです。 蓮池城趾は、現在の土佐市蓮池にあります。 埋葬地ではないのですが、親実さんの徳を慕って里人たちが社を建立したのが蓮池の吉良神社。 今は城山公園となっている城趾の東麓にあります。

94. ミサキを訪ねて
  〈吉良神社 編〉

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  長宗我部元親さんの逆鱗に触れて切腹を命じられた吉良親実さん。 26歳という若さで亡くなってしまいました。 その後の祟り話の多さたるや。 前回は、その怪異の数々をざっと紹介しました。 →『土佐随一の怨霊譚』 夜な夜な怨霊が出てくるなんて話を聞かされたら、おちおち外を出歩けません。 いや、家の中でも震えてしまう。 400年たった今でもちょっと怖いくらいですが。 いやでも木塚明神として祀ったら祟りもおさまったそうですし、ゆかりの地に行ってみます!

81. 餅投げは、バースとかバイとか

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  昨年あたりからでしょうか、高知では盛んに餅投げが行われています。 コロナで自粛した期間の分を取り戻すかのよう。 道路が開通すれば投げる、道の駅が完成したら投げる、お祭りといえば投げる。 始まる前からみんなのテンションが上がっているので話ははずむし、帰りもみんな笑顔なので、晴れやかないい行事だなあと思います。 餅投げ、餅まき、餅拾い、餅ばい、餅ばあし 高知の中でも、いろんな呼び方があります。 『餅ばい』は、土佐弁で「奪い合い」ことを「ばい合い」と言ったりするので、そこからなのでしょう。 『餅ばあし』は、「投げる」を「ばあす」というらしいです。 もう聞いたことのない土佐弁。 「あそこに新しい家が建ちゆうけんど、いつ餅をばあすがやろうのう」 というのが正しい使い方のようです。 そう、昭和の頃は家が完成すると餅投げをするのが定番でした。 全国的には、上棟式の時にするのが一般的なのでしょうか。 当時は、今のようにビニールに入っていません。 土がついても泥がついても洗えば大丈夫、というたくましい時代。 みんな目の色を変えて拾っていたので、落ちても一瞬です。 三秒ルールはクリアしていたはず。 また大人の本気度が高く、本当に「ばい合い」。 うかうかしていたら弾き飛ばされそうな勢いでした。 まずは新築の屋根や二階から、東西南北に大きな『四方餅』という大きめの餅を投げるのだそうです。 地域によっては投げる方角の順番があったようですが、古い話なのでみんな記憶もあいまい。 大きさもまた地域によるのでしょうが、直径30cmくらいだったりしたようです。 直径30cmの餅はなかなかの大きさ。 『四方餅』を投げてから、普通の餅投げが始まるという流れだったそうですね。 家の落成で餅投げをするという話、最近は全く聞かなくなりました。

42. 高峯神社と、宇佐の竜

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  ものすごい神社へ行ってきました。 土佐町の高峯(たかみね)神社です。 なにがすごいって、神社の建っている場所がかなりの山の上。 行き着いた御社殿も、想像以上。 資材を運ぶのが難しそうなこの場所に、こんな立派な御社殿がある事に恐れ入ってしまいました。 この神社のことを知ったのは、『とさちょうものがたり ZINE 』という雑誌でした。 もともと土佐町は、高知の中でも面白い試みをしている印象のある町です。 とさちょうものがたり編集部が作って、土佐町役場が発行しているこの雑誌。 写真も内容も、本当に良いんです。 写真は、風景もポートレートもずっと眺めていられる素敵さです。 自分の周りのきれいな景色、自分の周りの人たちの物語、足元にあるものの良さを再認識させてもらえます。 ウェブサイトは今年、地域再生大賞・優秀賞にも選ばれたんですよ。 とさちょうものがたり→ https://tosacho.com そんな『とさちょうものがたり ZINE02 』に、高峯神社の伝説が載ってたんです。 「その昔、土佐市宇佐(うさ)の海の沖に竜が居座ったことがあった。 漁師たちは魚が取れなくなり困窮し、海神様に相談に行った。 海の神は民の声を聞き、竜に近づきおもむろに蹴っ飛ばした。 それでようやく民は魚を獲ることができるようになった。 めでたしめでたし。 この竜がいたところ、それが宇佐町の竜(りゅう)という地名になっている。」 そして、この竜が飛ばされてきたところが、そう高峯神社なのだそうです。 蹴っ飛ばすって 笑 言い伝えの中の神様ってユニークですよね。 これを読んで行ってみたくなったんです。 宇佐の竜の浜 『土佐町史』には、別の話が載っています。 まず、話は白鳳地震(684年)で沈んだとされる、高知の伝説の集落「黒田郡(くろだごおり)」まで遡ります。 その黒田郡に三宝大神がありましたが、白鳳の大地震で海に沈んでしまいました。 神々は、真砂に乗って北の三宝山にたどり着きました。 三宝山は、高峯神社のある山です。 ところが、竈戸神だけは溺れてしまい、土佐市宇佐沖の海底の岩屋にとどまりました。 海中より出たい一心で、竈戸神は光を放ちました。 その光のために魚が取れず、漁民は困り果てました。 ある漁師が、汚物を石にく...

9. おみろくさまは、大人気

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今回は、薬事法にひっかかってしまうかも・・・?  『おみろくさま』体験者の話 子供にウィルス性のいぼが出来てしまいました。 ウィルス性のいぼは、皮膚科で液体窒素を使い焼いてもらう治療になるのですが、これがなかなかの厄介者。 何回も通わなければなりません。 しかも、その子のいぼが出来たのは手の指先。 敏感なところなので、焼く治療なんて考えるだけで痛いです。 根気よく通ったのですが一向に良くならないので、『おみろくさま』にお願いしてみることにしました。 するとどうでしょう。 何日かすると、治ってしまったのだそうです。 「あそこは、すごい」 力強い言葉に、私少し洗脳ぎみ。 『おみろくさま』を訪ねる 土佐市の新仁淀川大橋のたもとにある小さな神社、それが『おみろくさま』です。 いぼや出来物に効くと言われています。 小さいと言っても、のぼりも立ってますし御神木もあり、駐車場も10台くらい停められます。 私が小学生だった頃から、この神社はすごいという話は高知市にも伝わってきていました。 いぼを取ってくれる=体の中の出来物も取ってくれる ということで、参拝の方が絶えないようです。 お参りさせてもらったのですが、雰囲気のいい神社で何か温かい感じさえします。 とても慕われていて、大事にされているのが伝わってきました。 神社というより、お寺の雰囲気に近いような(個人比) 不思議なのは、鳥居に『弥勒大明神』の文字が。 神社の中には、「弥勒菩薩」という文字や真言まで書かれてあります。 神社なのに菩薩。 日本の宗教って寄せ鍋みたいだなって思うことがあります。 土着の神々も、渡来した異教の神様も全部取り込んで拝む。 良いといわれるものなら何でも拝む。 そんなおおらかさが、日本人には備わっているのだと思っています。 神社なのに菩薩・・は、廃仏毀釈前をのぞき見てるような気分になります。 また、弥勒菩薩は56億7000万年後に現れて多くの人々を救うといわれるヒーローですからね。 かっこいい。 でも、遥か彼方の未来だなー。 神社の中には、結願された方が納めたカエルの置物がたくさん。 いぼということで、いぼガエルという発想なのでしょうか。 それにしても、すごい数です。 カエル嫌いにはキツいでしょうか。 雨の日だ...