ものすごい神社へ行ってきました。
土佐町の高峯(たかみね)神社です。
なにがすごいって、神社の建っている場所がかなりの山の上。
行き着いた御社殿も、想像以上。
資材を運ぶのが難しそうなこの場所に、こんな立派な御社殿がある事に恐れ入ってしまいました。
この神社のことを知ったのは、『とさちょうものがたり ZINE 』という雑誌でした。
もともと土佐町は、高知の中でも面白い試みをしている印象のある町です。
とさちょうものがたり編集部が作って、土佐町役場が発行しているこの雑誌。
写真も内容も、本当に良いんです。
写真は、風景もポートレートもずっと眺めていられる素敵さです。
自分の周りのきれいな景色、自分の周りの人たちの物語、足元にあるものの良さを再認識させてもらえます。
ウェブサイトは今年、地域再生大賞・優秀賞にも選ばれたんですよ。
とさちょうものがたり→https://tosacho.com
そんな『とさちょうものがたり ZINE02 』に、高峯神社の伝説が載ってたんです。
「その昔、土佐市宇佐(うさ)の海の沖に竜が居座ったことがあった。
漁師たちは魚が取れなくなり困窮し、海神様に相談に行った。
海の神は民の声を聞き、竜に近づきおもむろに蹴っ飛ばした。
それでようやく民は魚を獲ることができるようになった。
めでたしめでたし。
この竜がいたところ、それが宇佐町の竜(りゅう)という地名になっている。」
そして、この竜が飛ばされてきたところが、そう高峯神社なのだそうです。
蹴っ飛ばすって 笑
言い伝えの中の神様ってユニークですよね。
これを読んで行ってみたくなったんです。
宇佐の竜の浜 |
『土佐町史』には、別の話が載っています。
まず、話は白鳳地震(684年)で沈んだとされる、高知の伝説の集落「黒田郡(くろだごおり)」まで遡ります。
その黒田郡に三宝大神がありましたが、白鳳の大地震で海に沈んでしまいました。
神々は、真砂に乗って北の三宝山にたどり着きました。
三宝山は、高峯神社のある山です。
ところが、竈戸神だけは溺れてしまい、土佐市宇佐沖の海底の岩屋にとどまりました。
海中より出たい一心で、竈戸神は光を放ちました。
その光のために魚が取れず、漁民は困り果てました。
ある漁師が、汚物を石にくくりつけ海中に投げました。
すると、竜宮の使者である龍が竈戸神を助け、大岩の上に安置しました。
そこへ、貞友なる武士が登場します。
「光るものは何者ぞ。止めずは射るべし!」
と叫び、矢を放とうとします。
突如として黒雲来たりて龍が現れ、竈戸神を虚空へ舞い上げ、龍は海中へ消えていきました。
そして、この土地を龍(竜)と呼ぶようになりました。
こうして竈戸神は、土佐町と吾北(ごほく)村の境にある『仏ケ森』に降りたまいました。
夢を見てこれを知った貞友は、はるばるこの地にやってきます。
そして、光り輝く竈戸神をに向かい弓を構えた時、山鳥が立ち塞がりました。
それでも矢を放つと、光る玉(玉だったんですね)から大神が現れ、睨み合いの末に貞友が降参して平伏。
後に出家して生涯大神を奉斎、宝峠寺を建てました。
ボウドウという地名は、その寺跡なのだそうです。
大神は、その後三宝山に遷されたもうたということです。
当時は、社地から五色の真砂石が出ることもあったようで、それは神の乗りたもうた真砂石と言われ、鳥居からは素足で参詣する風があったと書かれています。
貞友さん、もう魅入られていたとしか思えない執念。
『とさちょうものがたり』に載っていた話と、骨組みは同じ感じがします。
龍としては、蹴られるよりも竈戸神を助けるバージョンで伝えていってほしいかもですが 笑
語り継いでいくうちに、変わっていったりするのでしょうか。
言い伝えって、親から子へ、子から孫へと語られているうちは変化もしていくものだなって思うんです。
本などに記されたときに、進化をやめてしまうような。
ひょうきんなおじいさんとかだと、話を盛ってくれそうじゃないですか。
そして、子供はそんな話が大好きで。
高峯神社 |
高峯神社に行った話を書きたかったのですが、たどり着けず。
実際の神社も、なかなか遠かったのですが。
その話は、また次回!
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