気がつくと4月!
「1月は往ぬる、2月は逃げる、3月は去る」というように、本当にあっという間。
最近の1月は、なじみのない「往ぬる」より「行く」に変わってきているのでしょうか?
そんな3月の末に、雷が鳴った日がありました。
この時期に雷が鳴ると思い出す話があるのです。
高知市の土佐山地区では、節分の豆を神棚に祀っておいて初めて雷が鳴った日に食べる、という風習を残しているお家があるそうです。
知り合いの家には小さなお子さんがいて、お豆を食べるのを楽しみにしていたとのこと。
その年の初雷は、なぜか午後2時くらいに一回こっきりゴロゴロと鳴って収まりました。
のどQはちょうど静かな場所にいて、「雷イヤやな」と思ったので覚えてました。
でも、忙しい大人は聞き逃してしまうレベルのもの。
しかし、そこはお豆を楽しみにしているお子さんのこと。
はっきりと聞いてました。
家に帰って、お母さんに報告。
豆を食べる気まんまんです。
なのにお母さんの耳には雷の音は届いておらず。
「お豆が食べたいきってウソはいかん」
なんて言われてしまいましたとさ。
残念。
もうお豆を喜ぶ年齢でもなくなったかもしれないけど、初雷を聞くと「あの子は今日お豆を食べるのかな」と微笑ましい気持ちになるのです。
この風習、もう少し難易度の高いものもあるらしいのです。
UFO事件でおなじみの介良(けら)あたりの話とのこと。
その年の節分に煎った大豆を『鬼の目』と呼ぶのだそうです。
毎年最初に雷が鳴った瞬間、真昼であろうが真夜中であろうが、時間をとわずいつでも鬼の目を家族一同で一粒づつ食べるのだそう。
その時家族の誰かが不在の時は、その分だけ残しておくのだそうです。
昔は更にこの鬼の目を大神宮に祭り戴いたとのことであるから、なかなかに厳粛。
この鬼の目を食べておけば雷に打たれないということらしいです。
ずいぶん昔の本に載っている話ですが、現在も守っているお家があるのかもしれませんね。
高知県の西部を「幡多(はた)」と呼びますが、『幡多郡誌』に雷の迷信がいくつか載っていました。
「雷は神である」
雷神・風神の絵、思い浮かびます。
「雷は雷獣と称するテンのごとき動物である」
意外にかわいいなあ。ピカチュウか?
「雷はへそを好み、これを奪う」
絵本で読んだことがあります。
へそを取られるとどうなるんだろうと、子供のころに想像した記憶が。
「雷の鳴るとき「桑原桑原(くわばらくわばら)」と唱えると落雷しない」
別バージョンで桑の畑には雷は落ちないなどとも聞いたことがあります。
菅原道真公が天神さまだということで、道真公が住んでいた桑原町には落ちない、とか。
いくつか説があるようですが、とにかく昔から唱えられている古い呪文なんでしょうね。
「雷の鳴るとき、線香をたきカヤを吊ると落雷をまぬがれる」
「天神さまの氏子に入ると雷が恐ろしくなくなる」
雷よけのおまじないは、たくさんあったんだろうなと思います。
昔は避雷針なんてなかった分、今より怖かったのかもしれません。
子供のころは、家にいれば安心だと思っていました。
怖がる大人を笑ってさえいたように思います。
だんだん大人になって落雷のニュースなどを見ていくうちに、恐ろしさがわかるようになり・・・
いつしか笑われるくらい怖がるように・・・
初雷の日に鬼の目を食べた方がいいのかもしれません。
参考文献 : 幡多郡誌、土佐民俗
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