54. 水中で美女は機を織る

 

高知市から西に1時間ほど行くと、四万十町があります。
高知県にはなぜか四万十町と四万十市があり、県民もすぐこんがらがります。
結局、旧地名で呼ぶことに。

まどろっこしいので、どっちか変えてくれないかしら。



四万十町は美味しいお店がいくつもあるので、探検も楽しいんです。

ただ、中心部から奥に行くとお店はなくなるので要注意ですよ。

この日は、大人気の『満洲軒』のジャン麺をいただき、その後は伝説の匂いのする方にぷらぷらとドライブ。




すると、とある橋のたもとに立て看板を発見しました。

欄干には『日野地大橋』と書かれてあります。

立て看板なんて珍しい。

「この橋渡るべからず」と書かれてたりして。

なんて思いながら車を降りてみると・・・伝説発見!

『なべ石』と書かれています。
橋の下にある大きな岩のことでしょうか。



なべ石と淵



それによると、その昔、神西に松岡孫右衛門さんという鵜飼がいたのだそうです。
ある時、なべ石の淵で鮎漁をしていました。
すると、潜った鵜たちが戻ってこなくなりました。
おかしいと思った孫右衛門さん、尺八寸の銘刀をくわえて潜ってみました。
尺八寸って、約54.5cmくらいですか。

淵の奥深くに月宮殿があり、鵜たちは皆その止まり木に泊まっていました。
その側では、妙齢の美人が機を織っていました。
「直ちにその鵜を返せ」
孫右衛門さん、美人に迫ります。

「この淵は私の領分であるのに、お前は淵を荒らしにくるから返せない」
美人も言い返します。

孫右衛門さんは、くわえてきた銘刀で勝負に出ます。

すると、一天にわかにかき曇り、美人はたちまち形相が変わり大蛇になりました。
孫右衛門さんはほうほうの体で逃げ帰ったのでした。


その後孫右衛門さんは、大蛇が金物類を忌み嫌うと聞き、鍋の古金を落とし込み大蛇を追い払ったのだそうです。
そこから『なべ石』という地名がついたのだとか。

今でも右岸の岩には、その月宮殿の跡がわずかではあるが残っているのだそうです。




橋の下を流れる川は四万十川の支流、日野地川です。
真下にある深そうな淵、ここに大蛇がいたのかしら。
それにしても、月宮殿なんて風流な名前じゃないですか。

いったいどんな館だったのでしょう。
月宮殿の美人さん、シュッとした顔立ちで長い髪で・・・妄想が止まりません。



日野地川



高知市行川にも似たような話があります。
こちらは、龍馬も泳いだと言われる鏡川です。
やはり鵜匠が漁をしていたら、鵜たちが二つの大岩の間に潜ったまま戻ってこなくなりました。
鵜匠が見に行くと、淵の底で美女が機を織っていたという話です。
この淵は、『綾織淵』と呼ばれているそうです。



月宮殿はファンタジーめいてましたが、淵の底でと言われるとホラーの香りが。




高岡郡仁淀村折合に伝わるのは、こんな話。
材木流しをしている人が、淵に鳶口(材木を引っ掛ける道具)を落としてしまいます。
探しに淵の中に入ってみると、岩屋の中できれいな女の人が機を織っていました。
そして、このことを誰にも言わないと約束して、鳶口をもらって帰ってきました。
しかし、約束を破って仲間に話したため、六人の仲間が死んでしまったということです。
この六人を祀ったのが仁淀村刑部にある六地蔵なんだそうです。



こうなると、完全にホラー。




みんな、水の中で機を織っているんですね。

しかも、みんな美女。
このような伝説の発生は、かつて村の娘が人里離れた水辺に棚を作って神に供える布を織っていたことに由来する、といわれているんだとか。




水辺で乙女が機を織って棚に供えるというのは、『棚機(たなばた)』つまり『七夕』に通じてくるのかなーと、浅知恵で考えてみたり。

『棚機』は、古い日本の禊の行事なのだそうですよ。
昔は服も自分達で作っていたわけですから、機を織る作業も身近だったんでしょう。

今でも淵に潜ったら、美女は機を織っているのでしょうか。
スマホいじってたりして。




あと、大蛇や龍って金物類がお嫌いって話もよく聞きます。
金物を放り込んだら祟られて、一家が絶える・・・なんて結末も多いんです。
最初の話の孫右衛門さん、祟られなくてよかったよかった。




だから日本では泉に斧を落っことしてしまったら、

「あなたの落としたのは、金の斧ですか?銀の斧ですか?」
なんて展開、ないんでしょうね!




参考文献 : 『土佐民俗8・9合併号』
     広谷喜十郎さん著『高知市歴史散歩』
     坂本正夫さん 高木啓夫さん著『日本の民俗 高知』










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