8. 偉大なる祟り神に会いに行く 〜菅原道真公編〜

 言わずと知れた菅原道真公。

合格祈願や七五三など、天満宮にお参りしたことがある人も多いと思います。
その天満宮の祭神といえば、道真公ですよね。



そして、崇徳天皇、平将門とともに、日本三大祟り神とも言われているお方。
無念を残して亡くなった人は、地震・洪水・疫病・飢饉などを起こす怨霊となります。

しかし、鎮めて手厚く祀ることによって神となり守ってくれるという御霊信仰は、他の国の方には理解しにくいかも知れません。



自然に対する畏怖が信仰に結びついてることが多い日本。
謙虚な気持ちを忘れずにいたいなと思います。





さて、道真公。
岡山県の犬島を調べたときにも出てきました。
太宰府へ流される途中、嵐に遭い犬の鳴き声に導かれて犬島に辿り着いた・・・というお話。
そして、大きな犬の形の石を見つけたのだそう。
犬島と名前をつけたのも道真公だといわれています。


道真公、他にもこの旅であちこちに寄ってます。
愛媛の川之江や今治、広島の尾道や呉・・・

小さな船での移動、そんなに早くは進めません。
土佐日記の紀貫之さんのルートを見ても少しずつしか進んでないので、道真公もあちこちに寄ったのでしょう。


『土佐日記』の紀貫之 (934年)55日かけて京に帰る
(安達裕之さん監修『日本の船の研究』より)


菅原道真公が太宰府に行くまでに、立ち寄ったと伝説が残るところ
まだあるかも・・(901年)




道真公が立ち寄ったとされる土地には、だいたい天満宮が建てられています。
昔も今も、大人気です。

・・・慕われている人ほど大きく祟る気がします。



そして、なんと、高知県にも立ち寄っているんです。
嵐に遭い流れ流され、高知県宿毛(すくも)市まで。
これは遠い。

豊後水道の流れに乗ってしまったのでしょうか。
よくぞ、いらっしゃいました。



太宰府に到着したと思うくらい遠かったのでしょう。
「ここも筑紫か?」
とお尋ねになったそうです。
このエピソードから、この辺りが『小筑紫』(こづくし)という地名になったといわれています。



流れ着いたのが小さな島で、そこで7日間過ごされたということから、『七日島』(なぬかじま)という名前になったのだとか。

今は島ではなく、陸続きになっています。


天満宮の境内にある、『七日島』と書かれた石


そして、もちろん七日島にも天満宮があります。
同じ頃、息子さんの菅原高視さんも高知市の潮江(うしおえ)に流されていました。
道真公の遺品を高視さんに届ける際に、七日島にも寄ったといわれています。
その時分けていただいた遺品が、ご神体なのだそうです。


そんなに派手なエピソードではないですが、あの道真公が立ち寄られたのかも知れないと思うと、風景も違ってみえてくるってものです。

ゆかりの地っぽさも案内板もないので、ロマンしかない・・・

せっかくの道真公なのに・・・

そんなことを思いながら、七日島にある天満宮に手を合わせて帰ってきました。



コメント