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116. 皿屋敷異聞 リターンズ
 〈春喜さま〉

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  江戸時代に広まったとされる怪談『番町皿屋敷』。 家宝のお皿を割ってしまったために主人に殺されてしまった女中のお菊さんが、夜な夜な井戸から出てきてお皿を数える物語です。 一ま~い、二ま~い、三ま~い・・・ 恐ろしげな声で語られて肝を冷やした覚え、ありませんか? 昭和世代だけですか? 高知にも皿屋敷伝説がいくつか残っています。 今回はその中のひとつ、南国市篠原にある「春喜さま」という祠に伝わるお話です。

103. 「お水もらい」に、瀬戸の滝

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  今年の冬は、本当に雨が降りませんでした。 気象庁によりますと去年の12月からこの2月まで、東日本と西日本の太平洋側では統計を取りはじめた1946年以降、最も少ない降水量だったそうです。 雨が少ないと野菜が育たず・・・キャベツは高いし、ブロッコリーは見かけないし、不便が多い冬でした。 雨って大事。 そこに来て、各地で起こった山火事です。 もう恐ろしくて。 地面も空気もカラカラなので、火の勢いが止まらない。 日本中の人が、福島に雨よ降ってくれと願っていたのではないでしょうか。 雨の大事さを痛感しました。 降るとつい文句を言ってしまうんですけどね、てへ。 雨が降らなくてに困るのは、昔も今も一緒だったよう。 雨乞いの神様は各地にあります。 どんなに文明が進もうと、動物にも植物にも水が不可欠なのは変わりないですもんね。 そんな雨乞いの神様のひとつが、南国市にある『瀬戸の滝』です。 昭和の初め頃は、ひでりが続くと「お水もらい」といって、近辺や隣の土佐山地区からお参りに来ていたそうですよ。 昔から大蛇が棲むといわれていて、登り口の『瀬戸神社』に神として祀られているそうです。

89. 海に沈んだ伝説

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  8月8日に「南海トラフ地震臨時情報」なるものが発表されました。 今回は15日に呼びかけ終了となりましたが。 いつかは来るものなのだろうと思ってるんですけどね~。 それでも怖いですよね~。 ということで、今回は『黒田郡(くろだごおり)』について書いてみようと思います。 黒田郡という大きな集落が、天武天皇13年(684年)に起こった白鳳(はくほう)地震で海底に沈んでしまった、という伝説が高知には残っているのです。 ただ黒田郡がどこにあったのかも、その規模もわからないまま。 「土佐大震記」(作者発行年不明)には、 斯く地震のために陥没したる面は、東の方、室戸岬より、西の方、足摺岬にわたる、黒田郡と称ふる一円の田島にして、黒田郡の外に、黒土、上鴨、下鴨の三郷に分れ、石高は二十六万石ほどの地なり。当時此の海辺には、太郎千軒、小田千軒などいへる、賑やかに栄えたる浦里ありしも、此の大地震の時、海底に沉没(沈没)したるなり。 とあるらしいです。 16 世紀末、太閤検地の時に土佐国が届け出たのがは 9 万 8000 石とすると、かなりのものです。 伝説も広範囲にわたっています。 南国市十市、高知市長浜、須崎市野見、四万十町志和、もっと西の土佐清水市にまで伝説があるのですよ。 いろんな機器を使ったり、科学的な調査も行われているんですが特定には至っていません。

80. ミサキを訪ねて
 〈比江山神社 編〉

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  前回の続きでございます。 長宗我部元親さんの後継問題で切腹させられた比江山掃部介親興(ひえやまかもんのすけちかおき)さん。 その後、数々の怪異が巻き起こります。 当時も怪談がささやかれて後の時代まで恐怖が残るなんて、かなりセンセーショナルな出来事だったのでしょう。 そのあたりは前回の『 比江山の七人ミサキ 』に書いております。 そんな比江山親興さんゆかりとされる比江山神社が三つあります。 ひとつは、親興さんが城主だった比江山城跡にある比江山神社。 ふたつめは、夫人と子供たちが亡くなったとされる香美市新改(しんがい)にある比江山神社です。 もうひとつは、高知市升形の出雲神社の境内にあります。 今回は、そのうちの二つの神社をめぐってみようと思います。

79. 比江山の七人ミサキ

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  災害や事故、水難などで亡くなった人の霊を祀ったものを『七人ミサキ』と呼びます。 七人であることが特徴です。 『 怪異!七人ミサキ 』の回では─── 野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っている。 ↓ 生きている誰かに取り憑いてその人が死ぬと七人のうちのひとりが成仏できる。 ↓ 新たに加わったメンバーと共に七人で彷徨う。 という怪異───と書きましたが、それだけでもない模様。 各地に色んなバージョンがあるようです。 そんな中、高知県で一番有名な『七人ミサキ』といえば、吉良左京進親実(きらさきょうのしんちかざね)さんと比江山掃部介親興(ひえやまかもんのすけちかおき)さんの話です。 今日は、比江山親興さんの話を掘り下げてみたいと思います。 この話は、まず長宗我部元親さんが支配していた頃から始まります。 400年以上前の戦国時代です。 戸次川の戦いで長男を亡くした元親さん。 二男・三男よりも、お気に入りの四男の千熊丸に跡を取らせたいと言いはります。 二男さんが病死した後、三男の親忠さんを推したのが『七人ミサキ』のメインとなるお二人、吉良左京進親実さんと比江山掃部介親興さんです。

78. 由緒正しき『下』の話

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  高知市の介良(けら)にある朝峯神社(あさみねじんじゃ)。 『延喜式神名帳』にも載っている式内社のひとつです。 どうやら大きな岩があるらしい。 聖なる空気感を想像しながら階段を登ったその先に────── どーーーんと現れたのは、男性器を模した石でした。 生殖器崇拝のことは知っていましたが、そのような神社に行き当たったことがなかったので、完全に不意打ちです。 モザイクかけられる類のものが普通に置かれていると、やはりギョッとなりました。 本殿の奥にある大きな岩が、女性器に似ているところからの信仰のようです。 詳しくないのであまり語るべきではないのですが、子供が産まれてくる器官が、多産そして豊かな恵みに想像がつながっていくのは自然な流れのように思います。 とても原始的な祈りの形を感じます。

77. 神社姉妹は、個性的!

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  世の中には有名な兄弟や姉妹がたくさんいます。 一緒にオリンピックでメダルを取ってしまうなんてことも。 神様界で代表的なのは、天照大神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)の姉弟でしょうか。 神社同士が姉妹というパターンもあるんですよ。 それがなかなか個性的な姉妹が多くて面白いんです。 今回は4組の姉妹を紹介します。 【河内神社と仁井田神社】 こちらは高知市土佐山にある神社です。 仁井田神社が妹で、河内神社がお姉さんなのだそう。 仁井田神社の秋祭りには「神相撲」や「碁盤振り」など、地域に古くから伝わる奉納芸が見られるそうです。 なんでも仁井田神社の夫神の地位が高く功績があったため、祭礼がより華麗に行われてきたのだとか。 夫神の地位で変わって来るものなのですね。 ママカーストという言葉が頭をよぎりました。 神様も大変なのかもしれないと思ってしまうような、人間くさい裏話です。 【星神社と星神社】 こちらは高知県東部の安芸市。 井の口の山田にある星神社がお姉さんで、妙見山の星神社が妹なのだそうです。 妹である妙見山の星神社が、なかなかの『はちきん』らしいですよ! 『はちきん』とは、気が強くて男勝りな女の人を指す土佐弁です。

75. 山姥さん、お邪魔しま〜す
 【一】 毘沙門の滝

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  伝説巡りをしていて、「山姥」とつく地名があちこちにあるのが気になり始めました。 住んでいたといわれるところも多く、さまざまな伝説が残っています。 滝や断崖、岩などに住み、飛ぶことができるとされる山姥。 金太郎のお母さんも山姥なんですよね。 昭和世代にはおなじみだったアニメのひとつに『日本昔ばなし』があります。 日本各地に伝わるお話を、毎週2つ放送してくれていました。 その『日本昔ばなし』のインパクトが強かったので、山姥といわれて思い出すのは、赤茶色のぼさぼさ髪でガタイが良くてお餅食べている姿になってしまっています。 山姥とは何なのか、山姥の風貌はどうなのか。 答えなど出るわけはないんだけど、興味は尽きません。 高知県にも山姥話はいくつもあります。 と言うわけで、お宅訪問してみることにしました。 山姥さん、お邪魔しま~す! 今回お邪魔するのは、南国市岡豊にある毘沙門の滝です。 この滝の入り口の右側の大岩にお住まいになっていたそうです。 毘沙門の滝は『龍王院』という縁切寺の近くにあるようなので、お寺を目指します。 縁切寺という響きからひっそりとした雰囲気を想像していたのですが、ものすごくピカピカした印象のお寺が現れてびっくりしました。 山の中の神社に慣れた目には、眩しいくらいです。

69. もうひとつの四合渕

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  さて、『四合渕』の話の続きです。 前回の南国市バージョンは、百姓家のお嫁さんの悲しい物語でした。 ご興味ございましたら→ コチラ これが山続きの土佐山村に伝わったとき、少し味付けが変わってきます──── 四合渕 昔、高知から本山へぬける街道筋の遠郷という部落に、一軒の宿屋がありました。 その家の息子にお嫁さんがやってきました。 「お客がどれくらい来ても、ご飯は四合しか炊かれんぜよ。」 お姑さんからの言いつけを守って、お嫁さんは四合できちんと賄っていました。 ところがある日、お客さんが満員になりました。 困ったお嫁さんは、四合では足りないと五合のご飯を炊いたのです。 ここまでは百姓家と宿屋の違いだけで、南国市の話と流れは同じです。 ここからです。 五合のご飯を炊いたとたん、白髪のお婆さんがスッと飛んで行きました。 それからというもの、ご飯はいくら炊いても足らなくなり、お嫁さんは言いつけに背いたことを苦にして下の渕に飯釜をかぶって身投げしたのだそうです。 今にこの渕を『四合渕』、宿屋のあったところを『四合屋敷』と伝えているということです。 ・・・・お婆さん? そう、土佐山村バージョンでは謎のお婆さんが登場するんです。 変わったのはそこだけと言ってもいいくらい。