89. 海に沈んだ伝説

 

8月8日に「南海トラフ地震臨時情報」なるものが発表されました。

今回は15日に呼びかけ終了となりましたが。

いつかは来るものなのだろうと思ってるんですけどね~。

それでも怖いですよね~。




ということで、今回は『黒田郡(くろだごおり)』について書いてみようと思います。

黒田郡という大きな集落が、天武天皇13年(684年)に起こった白鳳(はくほう)地震で海底に沈んでしまった、という伝説が高知には残っているのです。

ただ黒田郡がどこにあったのかも、その規模もわからないまま。




「土佐大震記」(作者発行年不明)には、


斯く地震のために陥没したる面は、東の方、室戸岬より、西の方、足摺岬にわたる、黒田郡と称ふる一円の田島にして、黒田郡の外に、黒土、上鴨、下鴨の三郷に分れ、石高は二十六万石ほどの地なり。当時此の海辺には、太郎千軒、小田千軒などいへる、賑やかに栄えたる浦里ありしも、此の大地震の時、海底に沉没(沈没)したるなり。


とあるらしいです。

16世紀末、太閤検地の時に土佐国が届け出たのがは98000石とすると、かなりのものです。





伝説も広範囲にわたっています。

南国市十市、高知市長浜、須崎市野見、四万十町志和、もっと西の土佐清水市にまで伝説があるのですよ。

いろんな機器を使ったり、科学的な調査も行われているんですが特定には至っていません。


須崎市野見の海


南国市の琴平神社にも伝説が残っています。

天智天皇が、五穀の豊穣と国民の幸福を願って黒崎宮(くろさきのみや)を祀ったのが始まりでだそうです。

天智天皇は672年に崩御されているので、それまでのことですよね。

この黒崎宮があったのが、七里(約27.5km)沖の黒田郡の独鈷峯なのだそう。

そして684年に大地震。

黒田郡は陥没、一夜にして山もろとも海に沈んでしまいました。

琴平山に登ってなんとか難を逃れた人々のところに、たまたま海中より金色に光る一霊玉が現れて、この山の三つヶ峠の松の木に留まったのだそうです。

これは黒崎宮の御神霊に違いないと、琴平山南麓に近い神田の地に祀ったとのこと。

寛永18年、神のお告げにより現在の位置に移ったのだそうですけどね。

明治の初めまでは、金毘羅大権現と称したそうです。

別の話では、金色の御幣がひらひらと舞い飛んできたということになっています。

金毘羅さんなので、とにかく金色の何かなのでしょう(まとめ方が雑)


琴平神社


伝説をもうひとつ。

高知の昔話で「宇賀の長者」というお金持ちの話があります。

現在の高知市長浜あたりの長者さんです。

旅に出た帰り手結山(ていやま)まで帰ってきたときに、海を隔てた遥か遠くに火事が見えました。

「あの方向であれほど燃えるのは自分の屋敷だけだ。」

と言い、

「焼けるものは仕方ない。まあここから腰でも炙ろう」

と、着物のすそを捲り上げ、火の方に腰を向けたというクセの強いお方です。





その宇賀の長者さんのライバルだったのが、西隣の黒田郷の長者さんだったらしいです。

この二人は大変仲が悪く、最初の頃は宇賀の長者さんの財力では及びもつかなくらいだったそうです。

しかし痩せこけた牛がその水を飲むとみるみる肥える不思議な泉を見つけて、その水を飲んでは働き、働いては飲むを繰り返すうちに黒田郷の長者に打ち勝ち、土佐第一の物持ちになったということです。




そんな二人の長者も、自然の力には勝てませんでした。

白鳳地震で黒田郷は海底に沈み、宇賀の長者も屋敷を無くし跡をとどめないほどに衰えたそうです。

実はその宇賀の長者さんの財宝がどこかに隠されているという伝説もあるそうですよ。

「朝日照る夕日かがやく萩の本、小判千両うるし七箱」

という歌をヒントに・・・

わかるかーーーい!





というより、その栄養ドリンク的な泉が気になるんですけどね。

肥えちゃあ困るけど 笑





見知った集落が無くなってしまうこともあるのかと恐ろしくなりますが、できるだけの備えをして、日々を過ごしていきたいと思います。

とか言ってもやっぱり怖いな~。




参考文献 : 黒田郡プロジェクトHP、南国市史、高知新聞(2013年8月7日「人の記憶 海の痕跡」、Wikipedia


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