うつぼ舟、聞きなれないけど気になる響きじゃないですか?
広辞苑によると、大木の中をくり抜いて作った舟なのだそう。
うつろ舟、うつお舟ともいうそうです。
そのうつぼ舟で流れ着いた高貴なお人が、のちに神として祀られるという伝説が日本各地に残っています。
茨城に漂着したうつぼ舟はUFOだったのではと、最近ニュースになってましたね。
高知空港から少し東に位置する赤岡町。
ここに、うつぼ舟漂着伝説があるのです。
赤岡町といえば、グロい血みどろな芝居絵を描いた江戸末期の絵師・金蔵の絵を、夏の夜にロウソクの灯りで観る『絵金祭り』や、浜辺で日本酒をアホのように飲む(失礼)『どろめ祭り』などがある、ユニークな町です。
で、赤岡町のうつぼ舟伝説の舞台は、美宜子(みきこ)神社というお宮。
赤岡町の中心地より少し西の地区にあります。
帝の姫と生まれた高貴なお方が、ハンセン病におかされてしまいうつぼ舟に乗せられて海に出されることとなり、赤岡の浦に流れ着いたというお話です。
恥ずかしながらのどQ、この病についてはあまり詳しくありません。
しかし、症状が表に出る病気が遠ざけられることは、コロナ流行期に咳こむ人への扱いを目にしたので想像がつきます。
未知の病への恐怖が、過剰な隔離に拍車をかけたことでしょう。
うつるのではないかという心配から、病に罹った人を孤立させてしまう。
多くの人が、近づけない、もしくは近づかないという選択をしてしまう。
そんな中、献身的に動ける人が現れたりするんですよね。
その姿を見て、自分の器の小ささを思い知ります、いつも。
この話も、赤岡の浦人たちはご婦人を背負って陸に上げ、大切にいたわり介抱した上、病気もいとわず世話したのだそうです。
婦人は浦人たちのあつい情を心から喜びながら、ここに養生しながら暮らしていました。
やがて病が重くなりその臨終のときに、自らを美宜子姫と名乗り、浦人の心情にむくいるため今より後この浦にわが悲しみを舐めさせることはしない、と言って亡くなったということです。
浦人たちが、その死をいっそうあわれに思い、ねんごろに弔って祀ったのがこの美宜子神社。
ただ大正12年に改称されるまでは、「シュクジさま」と呼ばれていたそうです。
美宜子神社、明和5年(1768年)建立の美宜子大明神御宝殿壱宇(だいみょうじんごほうでんいちう)の棟札があるそうなので、歴史のある神社です。
美宜子姫の持仏という木彫りの美しい地蔵菩薩があるそう。
昔は沖に出る遠洋漁船の安全を祈って、家族のものたちが、毎晩お灯明を灯してお詣りしていたということです。
災厄を除くご利益があるようです。
あと話に出てきた絵師・金蔵。
東京・サントリー美術館にて、展覧会「幕末土佐の天才絵師 絵金」が開催されるそうですよ。
2025年9月10日(水)~11月3日(月・祝)でございます。
高知の誇る天才絵師の芝居屏風絵、機会があればご堪能ください。
ちなみに赤岡絵金祭りは、毎年7月第三土曜日曜ですよ~
こちらはこちらでオススメです!
参考文献 : 赤岡町史、桂井和雄さん著『土佐の傳説 第二集』、市原麟一郎さん著『土佐のごりやくさん』、広辞苑
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