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110. 仁淀川のほとりで機を織る

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  令和7年7月7日とゾロ目日だった今年の七夕。 みなさん、何かお願いごとしましたか? 七夕の織姫さまといえば、機織りをしています。 恩返しをする鶴も、主に気に入られてしまい淵に落ちて帰ってこない娘さんたちも、ときには山姥も、みんな機で布をを織っています。 そして、たとえばお葬式から帰って喪負けをしないためとか、何かから身を守るおまじないに機織りの道具が使われたりもしていたらしいです。 伝説におまじない・・・身近な仕事でありながら、なにか神聖な感じがするんですよね。

105. 元祖とか本家とか
 〈天石門別安國玉主天神社〉

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  元祖か、本家か         時々、人気のお店などで勃発するこの問題。 消費者にとっては、そっちより美味しさの方が重要なのですが。 計り知れないそれぞれの事情があるのでしょう。 神社にも「どちらなのか?」問題があったりします。 高知でいえば、天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけのやすくにたまぬし かみのやしろ)。 越知町の黒瀬に1社、その下流のいの町神谷(こうのたに)に1社あります。 決して元祖と本家の争いではないのですが、翻弄されてしまった歴史がありまして。 どちらも地元の方に親しまれている、古い神社であることは間違いありません。 むしろ、それゆえに振り回された感があります。

102. イケメンもつらいよ
 〈成山・仏ヶ峠〉

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  天保十二年(1841年)のことです。 中浜万次郎少年(のちのジョン万次郎)が、漁に出て漂流し無人島で生き延びてアメリカの船に助けられたのがこの年です。 つまり、江戸時代の終わりが見えてきたあたりですね。 舞台は、仁淀川が悠々と流れるまち、いの町。 その中でも土佐和紙発祥の地といわれる成山(なるやま)地区で起こったお話です。 行ったことがある人は皆口をそろえて「成山は遠い」と言います。 実際に行ってみると、ちょっと不安になるほどに続く山道。 行けども行けども辿りつかない(大げさ) 今日からのどQも「成山は遠い」と口をそろえる側に仲間入りです。

86. ミサキ避けのお地蔵さん

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  このブログでも何度かお話ししてきました『七人ミサキ』。 災害や事故、水難などで亡くなった人の霊、もしくはそれを祀ったものを『七人ミサキ』と呼びます。 七人であることが特徴。 いわゆる憑きものの一つですが、海や川で不慮の死を遂げたときにいわれることが多いようです。 高知の話が有名ですが、愛媛や他のところにもあるようです。 よく言われているのは、野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っていて、生きている誰かに取り憑きます。 取り憑いた人が死ぬと、七人のうちのひとりが成仏できるというもの。 新たに加わったメンバーと共に、また七人で彷徨うという話です。 こういう自分たちにも降りかかるかもしれない怪異はどうしても怖いですよね。 身の回りで不運なことが起きるかもしれないとき、人は回避術を作りだします。 ジンクスやおまじないですね。 例えば誰かが死ぬ夢を見たとき、他の人に話したら正夢にならないとか。 親の死に際に立ち会いたかったら、霊柩車や救急車を見たら親指を隠せとか。 恐ろしい『七人ミサキ』に回避術はないものでしょうか? なんと、いの町にミサキ避けのお地蔵さんがおわすとのこと。 仁淀川の河原ということで行ってみました。 国道33号線沿い、いの町「紙の博物館」から仁淀川橋までの真ん中くらいのところに、土手に登る階段があります。 土手に登り仁淀川を見下ろすと河原があり、そこにおられましたよ。 夏なので野の花が咲いていて良い風景です。 近くの木陰も涼しそう。 近所の方の散歩コースなのでしょうか。 台座の割れ目に小さな花が飾られていました。 街の日常に溶け込んだお地蔵さん。 温かい気持ちになりました。 でも、昔はうっそうとした竹やぶが茂っていて、怖いところだったそうですよ。 良い風景になっててよかった~ 外へ出ていて、わけのわからない病気にかかったり、不測のケガなどをすると「ミサキがついた」と騒いだのだそうです。 もう「ミサキがついた」とは言いませんし、病気やケガのときには病院へ行きます。 しかし、それが何回か続くと必ず「お祓いしてもらったら」と言う人が出てきます。 薄れてはいますが、考え方は残っているのを感じるときがあります。 日常のあちこちに現れるミサキ。 そのミサキがつくのを守...

29. ヨネス柿、おかわりの巻

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  少し前に、『根性の悪さを診断する柿』として紹介した、米助さん家のヨネス柿。 甘いのと渋いのが、食べてみないと分からない、ロシアンルーレットな柿なのです。 『#根性の悪さ診断』の巻は、こちら 新しい情報をいただいたので、さっそく続編です! おさらいします。 いの町池ノ内地区に、30年ほど前まで大きな大きな柿の木が2本生えておりました。 樹齢300年以上と言われていて、幹もそれは大きかったそうです。 柿の木でそこまで大きくなるのは珍しく、町の文化財になっておりました。 しかし、さすがのヨネス柿達も年を取り、一本は台風で、一本は老齢により倒れてしまったのだそうです。 柿というのは、畑や山よりも家に近いところにあることが多いように思います。 サザエさんなど古めな昭和的漫画でも、柿を取ろうとして「こりゃ~」な展開が定番というか。 そして現在、柿は人気の果物、というわけではありません。 しかし、スイーツがすぐに買えるわけではなかった頃は、柿の満腹感のある甘さは嬉しかったのではないかなと想像します。 とにかく、ヨネス柿は2本とも民家の近くに立っていたのだそうです。 どっちの木も幹の周りが2.6mくらい、樹の高さは10m以上だったという大木。 それが突然倒れる・・・それは、もはや災害レベル。 で、1本目のヨネス柿。 こっちに倒れたら民家直撃というところを上手く避けて、お行儀よく畑に倒れたのだそうです。 直撃されたことを考えるとゾッとします。 民家の方は、どれほどほっとしたことでしょう。 もう1本のヨネス柿はが植わっていたところは上の方で、一段下に民家が、もう一段下は畑になっているようなところだったそうです。 ここで奇跡が起こります。 どういう形だったのか民家の上を上手く通り過ぎ、もう一段下の畑に倒れたのだそうです。 そんな大きな木が、被害を出さずに倒れるなんてすごい。 300年間、地域の人たちが大切にしてきたからなのでしょうか。 昔話のような話ですが、地元の方に教えてもらったので本当の話です。貴重! もうひとつ、地元で言われていた話も教えてもらいました。 ヨネス柿は、雨が降ると甘くなり、次の雨で渋くなると言われてたとか。 それほど甘いのと渋いのが見分けにくいんでしょうね。 根性が悪いからだと...

22. #根性の悪さ診断

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  ヨネス柿           富有柿、次郎柿、筆柿・・・ 柿にも色々ありますが、ヨネスなんて名前の柿、きっと初耳でしょう。 高知県いの町の池ノ内地区に伝わるヨネス柿。 この柿が、ちょっと面白いんです。 ロシアンルーレット的というのでしょうか。 ドキドキの柿なのです。 甘いか渋いか食べて見ないとわからない。 全部食べごろに見えるのに。 時々渋いのに当たってしまう。 毎年食べているのに、渋を当ててしまうのは笑えますが。 「根性の悪い人が食べると渋い」 地元では、そんな冗談もかわされています。 別名『池ノ内柿』ともいわれていて、甘柿の原種なのだとか。 『木練り』という種類のようです。 なんだか少し珍しいものの予感がします。 (↑柿の種類が複雑すぎて、途中でやめたので予感だけ) 柿という果物は、生態がちょっと面白いんですよ。 遺伝的には、ほぼほぼ渋柿になるのだそうです。 美味しい柿だったら、種を植えてしまいそうなのですが。 でも、待っているのは、渋柿だらけの残念な未来・・・ つまり、『猿かに合戦』でカニが植えた種は、おそらく渋柿に。 しめしめ、意地悪な猿は渋柿を食べるはめになるということ。 顔をしかめる猿を見て、カニは大笑いしましたとさ。 ・・・じゃあ話が面白くないですけどね。 ヨネス柿の歴史は、江戸時代までさかのぼります。 300年ほど前、池上久米助(なんと読むのだ?)さんと、米助さんの親子がおりました。 ある日、出先で食べさせてもらった柿がそれはそれは美味しくて忘れられませんでした。 次の春、枝をもらってきて植えたのが始まりとされています。 隣の客はよく柿食う上に、枝までもらう客だ・・・ですね。 米助・・ヨネスケ・・・ そう、ヨネスというのは米助から取った名前なんです。 ちょっと洒落た響きだと思っていたら、なんと米助の愛称。 当時は、なぜか「~助」の「け」を抜いて呼ぶこともあったみたいで。 県下には、しんすけさんを祀った「シンス」地蔵などもあります。 ホンダケイス、マツザカダイス、カミキリュウノス・・・ ちょっと並べてみました。 さて、ヨネス柿。 30年ほど前までは、池ノ内地区に大きな原木が二本残っていて、いの町の文化財...