105. 元祖とか本家とか 〜天石門別安國玉主天神社〜

 

元祖か、本家か       

時々、人気のお店などで勃発するこの問題。

消費者にとっては、そっちより美味しさの方が重要なのですが。

計り知れないそれぞれの事情があるのでしょう。




神社にも「どちらなのか?」問題があったりします。

高知でいえば、天石門別安國玉主天神社(あまのいはとわけのやすくにたまぬし かみのやしろ)。

越知町の黒瀬に1社、その下流のいの町神谷(こうのたに)に1社あります。

決して元祖と本家の争いではないのですが、翻弄されてしまった歴史がありまして。

どちらも地元の方に親しまれている、古い神社であることは間違いありません。

むしろ、それゆえに振り回された感があります。


黒瀬の天石門別安國玉主天神社


ちなみに、神社の読み方は国立公文書館の延喜式神名帳から。

「あめのいわとあけやすくにたまぬしてんじんじゃ」と書いている本もあります。

うーん、どちらも長すぎて覚えられない~。




その延喜式神名帳。

ざっくり言うと、1300年ほど前にまとめられた神社の一覧ですね。

これに載っている神社を式内社と呼び、高知県には21社あります。

古い話なので絶対ということはないのでしょうが、高知ではほぼ間違いないという神社が多いです。

神名帳には天石門別安國玉主天神社も載っているのですが、黒瀬と神谷、どちらが式内社なのかというのが問題なのであります。




時はさかのぼり、江戸時代。

土佐の学者である谷秦山(たにじんざん)先生が、神谷の天石門別安國玉主天神社にある棟札を見て、こちらが式内社であると確認したそうです。

棟札とは、その建物についてできた年や直した年やらを書いたものです。


神谷の天石門別安國玉主天神社


神谷の天石門別安國玉主天神社、現在は貴船神社と合祀されています。

名前に「石(いわ)」が入っているとおり、本殿の左側に大きな岩があります。

写真では全景を写せないくらい、とにかく大きい岩です。


鳥居の向こうに大岩がちらり


ところで神谷と書いてこうのたにと読む地名、なんとも神秘的なイメージじゃないですか?

なんと弘法大師の伝説があるんだそうですよ。




昔、弘法大師が四国を回られていた折、この村をお通りになりました。

そして山や谷の景色に目をとめられ、谷をくまなく歩かれたそうです。

九十九まで谷を数えられ、

「あとひと谷あれば寺院を建立したかったが、これでは神さまの谷にするより他はない」

とおっしゃられ、神谷というようになったということです。




百にひとつ足りないから神さま系ね、というのがモヤっとしますが。

掘り下げていくと、元祖/本家っぽい問題に行き当たりそうな気がするー、だから今回はスルー。

韻の踏み方が昭和だな。


神谷の天石門別安國玉主天神社



明治に入り、その棟札はもともとは黒瀬の天石門別安國玉主天神社にあったのではないか、そして洪水のときに流されたのではないかという話になります。

そして、黒瀬の方を式内社と認定したのだそうです。

ふーむ、ない話ではないかもな。


黒瀬の天石門別安國玉主天神社


黒瀬の天石門別安國玉主天神社は、少し見上げたところに大きな岩があります。

境内は、何本かある大きな木が印象的。

「とあけさま」と呼ばれ親しまれているそうです。

昔は、縁結びの神さまとしてにぎわっていたそうですよ。




とあけさまに参詣したときに、境内のイヌマキの木の枝を持ち帰り、悪病よけのおまじないとして軒下にぶら下げる風もあったそうですよ。


写真右手にイヌマキの木が



どちらが式内社かという疑問に、はっきりした答えが出ることはないのでしょう。

認められていたのを外されたのは悔しいと思います。

まあ他の式内社だって100%確定ではないですし。

なにせ1300年前の話なんですから。




でも1300年前の人たちも祈りを捧げた神さまなのかもしれないと思うと、グッとくるものがありますね。

自分では抱えきれない出来事があったときに、祈る場所があるのは心の支えになると思うのです。

どちらの天石門別安國玉主天神社も、地元で大切にされているのがわかりました。

遠くのパワースポットもいいですが、地元の神社もパワーもらえるかもですよ。




参考文献 : 桂井和雄さん著「土佐民俗記」「土佐の傳説 第二集」、広谷喜十郎さん著「土佐史の神々」、竹内荘市さん著「鎮守の森は今」、「いの町史」

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