80. ミサキを訪ねて
 〈比江山神社 編〉

 

前回の続き

長宗我部元親さんの後継問題で切腹させられた比江山掃部介親興(ひえやまかもんのすけちかおき)さん。

その後、数々の怪異が巻き起こります。

当時も怪談がささやかれて後の時代まで恐怖が残るなんて、かなりセンセーショナルな出来事だったのでしょう。

そのあたりは前回の『比江山の七人ミサキ』に書いております。



ゆかりの地をめぐる

そんな比江山親興さんゆかりとされる比江山神社が三つあります。

ひとつは、親興さんが城主だった比江山城跡にある比江山神社。

ふたつめは、夫人と子供たちが亡くなったとされる香美市新改(しんがい)にある比江山神社です。

もうひとつは、高知市升形の出雲神社の境内にあります。

今回は、そのうちの二つの神社をめぐってみようと思います。


比江山城跡の比江山神社

城址に立つ比江山神社へ

まずは、お城のあった南国市の比江山から。

紀貫之がおられた昔の国府のすぐ近くにあります。

永源寺という大きなお寺を目印に進み、階段下を右に曲がります。
そのまま道なりに登って行くと『比江山城跡 参道』と書かれた石碑があるので、参道を通って比江山神社に到着します。


参道の石碑

参道の途中でおじいさんとおばあさんに会いました。

「青年団の頃からここに道を作ろうと言い続けて、今になってしもうた」

と話してくれたのですが、確かに石碑の裏には令和2年の文字。

参道ができるまでは、麓にある日吉神社の横の細い道を登っていたそうです。

おじいさんたちの尽力のおかげで快適に訪ねることができましたよ!

二人は、神社のことを「かもんさま」と呼んでいました。

“かもんのすけ”だから「かもんさま」なのでしょうか。


比江山城跡


比江山神社のある場所が、天守だったようです。

取り囲む木々がなければ見晴らしも良さそうです。

ここには、親興さんと夫人そして子供たちが祀られているそうですよ。


新改の比江山神社へ

もうひとつの比江山神社は、香美市の新改川のほとりにあります。

途中狭い道も通るので運転も少し慎重になりました。

こちらは、夫人と子供たちのお墓なのだそうです。

田んぼの横にひっそりとたたずんでいました。

この場所は、かつて善勝寺の境内だったともいわれているのだとか。

こちらの比江山神社も「かもんさま」と呼ばれているそうです。


新改の比江山神社


母子の墓にいたずらをして発熱したなどという怪談が続くため、祠堂が建てられたという話もあります。

確認はできませんでしたが、夫人と子供たちが斬られた石を「ツイノイゼキ」といい、この石を動かしたら祟ると恐れられたようです。

大小さまざまな怪談が残っているのですね。

いっぽうで、一時はなかなかご利益があるということで流行ったらしいですよ。


新改の比江山神社

親興さんの切腹の知らせを聞き、比江山城址から新改まで逃げたといわれる夫人と子供たち。

住所は南国市と香美市なので遠く思えるのですが、距離にすると4kmほど。

それほど離れていません。

なんとか子供たちだけでも助けたいと、必死でこの道を走る夫人の気持ちを勝手に想像して涙ぐむ帰り道。



後継問題は戦に発展することもあるので、その芽を摘んでおくのが戦国時代なのでしょう。

でも比江山さんと吉良さんの推した三男の親忠さんは、幽閉もされましたが死んではいないんですよね。

本人の切腹にとどまらず、子供たちまで殺されてしまった比江山親興さん。

よほど長宗我部元親さんの逆鱗に触れたのでしょうか。

今回は書きませんでしたが、久武内蔵助さんが比江山さんと吉良さんを陥れたという言い伝えもあります。

そちらは、吉良さんの七人ミサキのときにお話しましょう。

比江山の七人ミサキめぐりはこの辺で。



参考文献 : 国府村史、市原麟一郎さん著『山田・南国伝説散歩』、高知県高等学校教育研究会歴史部会『高知県の歴史散歩』



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