次男・三男によって作られた集落がある
そしてなにやらその集落には石垣がある
そう聞いて興味がわき、行ってきました愛南町の外泊(そとどまり)。
愛南町は、愛媛県の一番南にある町です。
御荘から、2006年まで有料だった旧西海有料道路を快適にドライブ。
こんな道をすぐ『スカイライン』と呼びたくなるのは昭和人間だからかしら。
高知県民が口をそろえるのが「愛媛の道路は走りやすい」
県境の看板を見逃しても、今走っているのが高知か愛媛か分かるといいますか。
あ、悲しくなるので皆までは。
走っていると集落が見えてきました。
標識で「内泊」と確認。
そしてもう少し行くと、「中泊」への案内板がありました。
ということは、次が「外泊」です。
『石垣の里』と大きく書かれているので分かりやすいです。
車を降りてびっくり。
ここまでの石垣とは思いませんでした!
これはすごい!
お邪魔いたします!
なかなかに坂の街で、細い路地が石垣の間に張り巡らされています。
いい天気なのでお布団を干しているお家もあります。
見慣れたような生活空間が、見た事のないような石垣に囲まれている不思議。
地区の方からすると日常なのでしょうけど、暑いのも相まって異空間としか。
よくぞここまで。
舌が巻き切ってしまって戻らない。
山の方に見える段々畑も、いやはや~。
丁寧に積み上げられた石垣は、本当に見事。
空き地になってしまったところは、無常を感じてしまいます。
幕末の頃、となりの中泊地区から次男・三男などが分家し、山肌を開墾し、出土した自然石を使って段々畑とともにこの石垣を作ったそうです。
車を止めさせてもらった休憩所でもらった地図に、『七蔵垣』の説明が載っています。
七蔵さんが17歳の時に築いた石垣で、外泊の中でひときわ見事なものなのだそうです。
七蔵っていうからには、七男なのかな?
同じ休憩所にあった昔の写真の段々畑は、もはやCG。
外泊地区は、冬場に低気圧が接近すると「しまき」と呼ばれる強い北西の季節風が吹き荒れる地域で、その風と潮害から民家を守るために、家の周囲に軒下まで達する石垣を作ったとのこと。
強い風が吹くと、海辺の地域には潮が飛んできます。
これが厄介者でいろいろ錆びてしまうんですよね。
それにしたって、ここまで作るのはすごい。
高知の大月町に龍ヶ迫という地区があります。
『大内村史』(大月町は大内村と月灘村が合併)を読んだときの龍ヶ迫の説明が頭に残ってたんですよね。
「明治9年、愛媛県南宇和郡下灘村等から移住してきた人たちによって部落が形成され、農漁によって生活が営まれているが、当初耕地の問題や網代の問題等雑多な件も解決し、不撓不屈の精神と偉大なる団結力と実行力によって土佐人には想像も出来ない石垣の段々畠をつくり・・(略)」
土佐人には想像も出来ない石垣。
これのことかと大きく頷きました。
屋敷神様もおられたようですけどね、チェックし抜かってしまいました。
ところどころに飾られた石のお人形は見かけたのですが。
なにかドラマに出てくるという噂も。
雨風で傷んだり崩れたりしやすいので、ちゃんと整備してくれているのだそうです。
一見の価値ありの石垣。
次男・三男の底力を感じました。
参考文献 : 愛南町史、大内村史、高知新聞「地域を創る 四国を拓く197」
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