58. 子供の守り神・津嶋神社

 

よい天気に、満開の桜。

やっぱり、春はお出かけしたくなりますね!

花粉には悩まされるのですが。




というわけで、香川県に行ってきました。

人気の写真映えスポット『父母ヶ浜』の近くを通ったので、どれ一枚撮ってみようとナビに設定。

香川のウユニ塩湖と呼ばれている浜です。

向かっていると・・・おや?

海に突き出してる、あれは神社なのかな・・・

赤い橋が神社まで架かっていて、なにか異世界感が出ています。

引き寄せられるように、速攻で右折!




駐車場から神社まで、桜がこれでもかと咲き誇っています。

看板には『津嶋神社』と書かれています。

大きな鳥居の向こうには、赤い橋。

美しい民話が始まりそうです。




おまけに、神社までの桜並木の下には踏切が。

電車まで通ってるなんて、オプション盛り盛り、大興奮です。




でも、とにかく橋が気になります。

お参りして橋に行こうとした時、後ろから「カン、カン、カン・・」

あっちもこっちも見たくて、もう、気持ちが追いつかない。

仕方ないので、電車は遠目に見ます。




赤い橋は、残念ながら通れませんでした。

本殿につながるこの橋、『つしま橋』というそうです。

8月4、5日の夏季例大祭の時だけ、渡れるとのこと。

現在は橋の枠組だけになっていて、年に2日だけ板を敷いて橋が完成する模様。

別名『しあわせ橋』といわれているそうですよ。


「橋のたもとに立ち、島から吹く神風を受けることで、

罪・穢れ・病気・悩みなど悪きことが祓われ、清められるのです。」


と、書かれていました。




本殿のある島までは、約250m離れているそうです。

周囲役150mの小島で、ウバメガシが生い茂っているそうですよ。

そして、こんな伝説が。




文禄年間の6月から8月にかけて、この浦に女の歌う声が聞こえてきたのだそうです。

その声を村の人は怪しみたずねてみました。

何も見当たりませんでしたが、巫女さんを介してご神託がありました。


「我は海中に住む神。名は津嶋神という。

今よりこの島に祭るべし。

祠など造る必要は無い。

何よりまず、木を植えるべし。

それが我神体なり。

さすれば、村の子供、牛馬を病から守るなり。」


里の人たちは、鳥居をたてて島に祭りました。

そして、旧暦の6月24、25日に祭りごとを行うことにしました。

これが、現在の夏季大祭の始まりとされているそうです。

昭和45年、こどもの夏休みにあわせて旧暦から今の8月4日、5日に改められたそうです。




かつて津嶋神社は、農耕用の牛馬と子供の守護のとして信仰を集めていたそうです。

農家の方が牛や子供を連れてきて、牛には潮浴びをさせ、子供には海水浴をさせていたそうですよ。

神社の横に、ちょっとした砂浜があります。

スーパームーンの大潮が近づいているこの日は、なかなかの干潮で、アサリを掘っている方もいました。




また、島に自生しているウバメガシを餌に混ぜて食べさせると、牛馬が健康に過ごせるという信仰もあったとか。

そのおかげでしょうか、その昔各地で牛馬の病気が流行した時も、この里では一頭の牛馬も病気にならなかったそうですよ。




昔は大切だった牛馬も、すっかり身近な存在ではなくなりました。

なので現在は、子供の健康・学業・子授けの神様として慕われているそうです。




子授けや安産の神様は聞いたことがあるんですが、子供の神様というのはあまり聞いたことがありません。

家内安全に含まれるというか。

ベビーカーが邪魔だ、公園での声がうるさいなどのニュースもよく目にします。

子供たちを見守ってくれる神様がいるなんて、なんて素敵なこと。

夏の大祭には、子どもを連れたご家族がたくさん橋を渡るそうです。

2日で10万人だとか!




帰り道、また遮断機の降りる音が。

踏切前の特等席で、桜の花びらが舞う中、電車を見送りました。

踏切の横に『津島ノ宮』という風流な名前のプラットホームがあります。

これまた、民話に出てきそうなネーミング。

なんとここ、8月の大祭の2日間だけ使われる駅なんだそうですよ!

ここが臨時駅として認可されたのは、大正4年だというから驚きです。



驚きついでにもうひとつ。

津島神社は、幕末の絵師・二代目安藤広重の手で浮世絵になっているんですって。

歴史があるんですね。



余韻に浸りながら父母ヶ浜に行ってみました。

そう、その日はスーパームーン近づく、なかなかの干潮。

鏡のようになるはずの水辺は、すべて砂浜に・・・

ちっとも映えませんでしたとさ。



参考文献 : 津嶋神社ホームページ http://www.tsushima-jinja.com/event.html

     四国旅マガジン Gaja  No.47


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