68. 四合渕

 

先日、桑ノ川の鳥居杉を訪ねた帰りのことです。

来た道があまりに遠かったので、帰られそうな別の道を迷わず選択。

すぐに対向車にも出会ったので、よしよしこれは人里まで遠くないぞと胸をなで下ろしました。

とは言っても、まあまあの山道なんですけどね。




私事ですが、最近「橋を渡ること」がプチブームです。

山の中の小さな川にはレトロな橋がかかっていることも多いんです。

高知に多い沈下橋のように欄干のないもの、木を渡しただけの橋なんかも見かけます。

頼るものがない橋はちょっとスリリングなのです。




さて、山道をくねくね進みます。

人家がなく、目に入るのは木々と横を流れる川だけ。

その中に、ふと小さな橋が見えました。

渡ってみたいなと思っていたら、近くに神社が見えました。

神社があるなら寄り道確定。

おお、淵まであります。

伝説の香り!

と喜んだ瞬間、目の前に案内板を見つけました。

『四合渕』ですって。

しかも説明付き。

最後に「名水とセイランの里 黒滝」と書かれてるので、桑ノ川のお隣の黒滝の方でしょうか。

助かります。



四合渕、昔はもっと深く薄気味悪いくらい澄んだ渕だったそうです。

今でも薄気味悪さは健在ですが、そんなに大きくはありません。

遠郷と呼ばれるこの辺りに、いつの頃か古風な一軒の百姓家があったそうです。

一人息子も嫁をもらい、平和に暮らしていました。

ただ、この家の家風として、毎日四合のご飯しか炊くことが許されていませんでした。

お嫁さんもこれを守りよく働いておりました。

ある日、この家に客事があり大勢の人が集まりました。

もてなすには四合のご飯では足りません。

困ったお嫁さんは、誰にも相談せず多くのご飯を炊いてお客さんに振る舞いました。




その日から、四合のご飯を炊いても家の者はお腹がいっぱいにならないと言うようになりました。

仕方なく多めに炊くのですが、それでも足りないと言います。

お嫁さんは、自分が家風を破ったせいだと怯えおののきます。

そしてとうとう気がふれてしまい、飯釜をかぶってそばの渕に身を投げてしまったということです。



人家もなく、ものすごく物寂しいところです。

でも石垣がところどころに築かれているので、人が住んでいたか仕事で往来していたかそんな気配はあります。

ちょっと怖いので、神社も遠目に見ておくだけにしておこうとも思ったのですが、橋を渡りたい欲求には勝てません。

細めの沈下橋タイプなので、そろりそろり渡ります。



渡り終わったところに鳥居がありました。

鳥居の向こうに、これまた小さな川が流れていて石をつたって渡るのです。

参道に天然の川なんて珍しいので、渡りたい欲求が再び。



そしてここまで来たならと、小道をたどって神社に到着。



物寂しいので何か落ち着きません。

どこにも名前がないので、何神社かもわからぬまま。

渕を覗き込みますが、前に行きすぎると落ち葉を踏み抜きそうで恐ろしい。

神社にも粗相のないように、渕にも失礼しないように。

いつものように挙動不審のまま、お参りを終えました。



後で調べてみると、『豊滝神社』というのがわかりました。

祭神ははっきりしていませんが、一説には海津見神を祀っているともいわれているそうです。




伝説には続きが────

お嫁さんが渕に身を投げてから、この神社を中心に不思議なことが次々起こるようになりました。

山が崩れたかと思うくらいの大音響がしたけど、見に行っても異変がなかったとか。

その後も度々大音響を聞いた人がいるそうです。

この神社のそばで、それはそれは大きな白蛇を見たという人もいたそうです。

別の人は、本殿をのぞくと大きな白蛇が目を光らせてにらんでいたそう。

ああ、恐ろしや。




と、ここまでが南国市に伝わるお話。

面白いことに同じ話でも、お隣の土佐山村になると解釈が変わってくるんです。

ところ変われば、伝説も変わる。

次回は土佐山村バージョンをお届けします!




参考文献 : 南国市史



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