海に沈んだ伝説、黒田郡(くろだごおり)。
黒田郡という大きな集落が、天武天皇13年(684年)に起こった白鳳(はくほう)地震で海底に沈んだ、という伝説が高知に残っています。
ただ黒田郡がどこにあったのか、わからぬままなのです。
詳しくは→『89. 海に沈んだ伝説』
四万十町の志和(しわ)地区にも黒田郡伝説が残っているとのこと。
四万十町の中心部は台地にあり、志和地区は台地から下りた海岸部にあります。
主要道路も台地を走っているため、海岸部までは少し遠いイメージです。
でも、隣町にある興津海水浴場はとてもきれいなビーチですよ!
![]() |
絶景ポイントからの眺め |
昔に比べて道は断然よくなっていました。
途中で興津(おきつ)方面と志和方面は道が分かれます。
志和への道はここから山道。
雨が続いた後だからか、ところどころ山から流れてくる水も量が多くて気持ちいい眺めです。
水のそばは、冷房いらずの涼しさ。
そしてもう少し走ったところに、志和が一望できる絶景ポイントがありました。
漁港があって田んぼがあって、いい風景。
展望台がほしい。
この志和の一里(約4km)沖合に黒田郡と呼ばれる大きな島があったのだそうです。
島の大きさは、東は須崎市野見地区から西は海水浴場のある興津沖まであったのだとか。
黒田郡は島だったのでしょうか。
志和と興津の間にある大鶴津(おおつるつ)の沖合は、水田の跡だといわれているんですって。
岩がなく、一面の泥だなのだそうですよ。
確かに『土佐大震記』では「・・・石高は二十六万石ほどの地なり」となっていましたね。
志和海岸から沖合4kmのところに「志和礁」という大暗礁があるのだそうです。
古くより八浦(宇佐、福島、野見、久礼、上ノ加江、矢井賀、志和、興津)のカツオ船が漁を競っていたそうですよ。
「志和礁」は、伝承によると黒田郡の山頂なのだそうです。
昨日まで存在した島が一夜でなくなってしまい、かろうじて山頂だけが残っているなんて。
その大暗礁には志和礁神社が鎮座しているということですが、どんな風に祀られているのか興味があります。
海津見神社・水神社・神母神社・天神社・若宮神社・黒土神社を合祀したものといわれているそうです。
黒土神社は、地震で亡くなった黒田郡の総霊を祀ったものと伝えられています。
志和礁神社のお祭りは、志和地区の諏訪神社で行われているそうです。
黒田郡に鎮座した諏訪大明神の御神体が、志和の浜に漂着したのを浦人が奉祀したのだと伝えられています。
![]() |
諏訪神社 |
この地区に伝わる「おんや踊り」というものがあって、祭日に奉納されるそうなのですが、現在では行われていないようです。
もとは、黒田郡にあった舞楽だったともいわれていたそうです。
その昔は志和礁の海上で踊っていたそうですよ。
大地震のときにわずかに生き残った人々が志和浦に住みつき、今もその子孫が残っているともいわれているそうです。
エピソードをいくつも並べられると、もしや本当にここが?と思ってしまいます。
1300年くらい昔にそんな壮絶な災害が起こったのかと思うと、やるせないです。
でも、心を惹きつけられる伝説であることも確か。
『黒田郡プロジェクト』と銘打った調査・研究もされているのですよ。
興味ある方は→黒田郡プロジェクトHP
志和の海岸も海水浴ができそうだなあ、と眺めました。
黒田郡があったら、を一生懸命想像してみながら。
![]() |
志和の海岸 |
参考文献 : 佐々木泰清さん著『志和二千年 志和郷七ヶ村史』、諏訪将人さん著『志和物語』
コメント
コメントを投稿