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102. イケメンもつらいよ
 〈成山・仏ヶ峠〉

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  天保十二年(1841年)のことです。 中浜万次郎少年(のちのジョン万次郎)が、漁に出て漂流し無人島で生き延びてアメリカの船に助けられたのがこの年です。 つまり、江戸時代の終わりが見えてきたあたりですね。 舞台は、仁淀川が悠々と流れるまち、いの町。 その中でも土佐和紙発祥の地といわれる成山(なるやま)地区で起こったお話です。 行ったことがある人は皆口をそろえて「成山は遠い」と言います。 実際に行ってみると、ちょっと不安になるほどに続く山道。 行けども行けども辿りつかない(大げさ) 今日からのどQも「成山は遠い」と口をそろえる側に仲間入りです。

91. 謎の昔話と、おちよ地蔵

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  高知市をの真ん中を流れる鏡川。 昔は坂本龍馬も泳いだらしいですぜよ。 龍馬の辺りより西にある鏡川橋の少し上流に、大きなイチョウの木と2体のお地蔵さんがおわします。 人柱になったおちよさんを祀る『おちよ地蔵』です。 その昔、大雨で鏡川が氾濫するとここにかけた橋が流されてしまうのだそうです。 どうしても橋をかけることができません。 困った村長さんと村人たちは相談して、人柱を立てようということになりました。 村長さんは、 「今から一番初めに来た人を人柱とする」 と言いました。 村長さんは、自分の娘がお弁当を持ってきてくれる時間であることがわかっていました。 そして時間通り娘さんがやってきたのです。 娘さんも父の思いを汲み、人柱になりました。 それからというもの、橋は壊れなくなりました。 人々は、供養のためにお地蔵さんを立てたということです。        みたいな話を、のどQは小学生の頃に母から聞きました。 その村長さんの覚悟と娘さんの自己犠牲がやたら琴線に触れて、この話を思い出して何度涙ぐんだことでしょう。 人柱なんて想像を絶する恐ろしさだし、自分だったら泣き叫んで父を恨みます。 村人の誰かにその重荷を負わせまいとする二人の献身が、気高く思えたのです。 この付近を通るたびに村長さんの娘を思い、胸がいっぱいになっていました。

90. 夢枕に立つお地蔵さん

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  どなたかに夢枕に立たれたこと、ありませんか? 亡くなった誰かとか、もしかしたら神様や仏様とか。 夢に出てきたことはあっても、何かを告げられることって少なそうですよね。 起きたら忘れてそうだし。 そういえば、義母(80歳)は夢枕の経験があるそうです。 義祖父が亡くなって間もないころ夢に出てきたらしいです。 親戚の家にネクタイを忘れてしまって気になっている、と。 色と柄も教えてくれたそうです。 次の日さっそく行ってみると、お告げ通りのネクタイが確かにあったとのこと。 心残りがネクタイだったのなら、幸せな気がするなあ。 もしも突然、神様仏様に夢でお告げなんかされたらびっくりしますよね。 いやいやいや、なんで私?みたいな。 まあ信心の深さも関係するのでしょうけども。 さて、高知市から車で2時間ほど西に行くと黒潮町があります。 カツオのたたきで有名な佐賀町と、サーファーに人気の大方町が合併してできた町です。 道路が海岸線に沿って走っているので、景色がいいんですよね。 その黒潮町にある伊田(いだ)トンネルの西側に、観音寺というお寺があります。 今回は、観音寺の境内の小さな祠におわします『お浪地蔵さん』のお話です。

86. ミサキ避けのお地蔵さん

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  このブログでも何度かお話ししてきました『七人ミサキ』。 災害や事故、水難などで亡くなった人の霊、もしくはそれを祀ったものを『七人ミサキ』と呼びます。 七人であることが特徴。 いわゆる憑きものの一つですが、海や川で不慮の死を遂げたときにいわれることが多いようです。 高知の話が有名ですが、愛媛や他のところにもあるようです。 よく言われているのは、野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っていて、生きている誰かに取り憑きます。 取り憑いた人が死ぬと、七人のうちのひとりが成仏できるというもの。 新たに加わったメンバーと共に、また七人で彷徨うという話です。 こういう自分たちにも降りかかるかもしれない怪異はどうしても怖いですよね。 身の回りで不運なことが起きるかもしれないとき、人は回避術を作りだします。 ジンクスやおまじないですね。 例えば誰かが死ぬ夢を見たとき、他の人に話したら正夢にならないとか。 親の死に際に立ち会いたかったら、霊柩車や救急車を見たら親指を隠せとか。 恐ろしい『七人ミサキ』に回避術はないものでしょうか? なんと、いの町にミサキ避けのお地蔵さんがおわすとのこと。 仁淀川の河原ということで行ってみました。 国道33号線沿い、いの町「紙の博物館」から仁淀川橋までの真ん中くらいのところに、土手に登る階段があります。 土手に登り仁淀川を見下ろすと河原があり、そこにおられましたよ。 夏なので野の花が咲いていて良い風景です。 近くの木陰も涼しそう。 近所の方の散歩コースなのでしょうか。 台座の割れ目に小さな花が飾られていました。 街の日常に溶け込んだお地蔵さん。 温かい気持ちになりました。 でも、昔はうっそうとした竹やぶが茂っていて、怖いところだったそうですよ。 良い風景になっててよかった~ 外へ出ていて、わけのわからない病気にかかったり、不測のケガなどをすると「ミサキがついた」と騒いだのだそうです。 もう「ミサキがついた」とは言いませんし、病気やケガのときには病院へ行きます。 しかし、それが何回か続くと必ず「お祓いしてもらったら」と言う人が出てきます。 薄れてはいますが、考え方は残っているのを感じるときがあります。 日常のあちこちに現れるミサキ。 そのミサキがつくのを守...

81. 餅投げは、バースとかバイとか

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  昨年あたりからでしょうか、高知では盛んに餅投げが行われています。 コロナで自粛した期間の分を取り戻すかのよう。 道路が開通すれば投げる、道の駅が完成したら投げる、お祭りといえば投げる。 始まる前からみんなのテンションが上がっているので話ははずむし、帰りもみんな笑顔なので、晴れやかないい行事だなあと思います。 餅投げ、餅まき、餅拾い、餅ばい、餅ばあし 高知の中でも、いろんな呼び方があります。 『餅ばい』は、土佐弁で「奪い合い」ことを「ばい合い」と言ったりするので、そこからなのでしょう。 『餅ばあし』は、「投げる」を「ばあす」というらしいです。 もう聞いたことのない土佐弁。 「あそこに新しい家が建ちゆうけんど、いつ餅をばあすがやろうのう」 というのが正しい使い方のようです。 そう、昭和の頃は家が完成すると餅投げをするのが定番でした。 全国的には、上棟式の時にするのが一般的なのでしょうか。 当時は、今のようにビニールに入っていません。 土がついても泥がついても洗えば大丈夫、というたくましい時代。 みんな目の色を変えて拾っていたので、落ちても一瞬です。 三秒ルールはクリアしていたはず。 また大人の本気度が高く、本当に「ばい合い」。 うかうかしていたら弾き飛ばされそうな勢いでした。 まずは新築の屋根や二階から、東西南北に大きな『四方餅』という大きめの餅を投げるのだそうです。 地域によっては投げる方角の順番があったようですが、古い話なのでみんな記憶もあいまい。 大きさもまた地域によるのでしょうが、直径30cmくらいだったりしたようです。 直径30cmの餅はなかなかの大きさ。 『四方餅』を投げてから、普通の餅投げが始まるという流れだったそうですね。 家の落成で餅投げをするという話、最近は全く聞かなくなりました。

70. 宇和島御槇の日切さん

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  ずっと行ってみたかった宇和島の『日切さん』。 「いついつまでに」と期限をつけて祈るので『日切さん』と呼ばれているお地蔵さんです。 念願かなって行ってきました。 ↑ 行く時点で念願かなってるのが本末転倒 笑 日切さんは、愛媛県宇和島市津島町の御槇(みまき)というところにおられます。 宿毛市からちょっとした山道を通らなければなりません。 御槇に到着したら分かるだろうと思っていたら、全く分からずウロウロ。 ちょうど公民館で『ふるさと市』をやっていたので寄ってみました。 お餅やら焼き鳥やらコロッケやら美味しそうなものが並んでいて、人もたくさん集まっています。 誘惑に勝てず、お昼時でもないのにぱくぱく・・・ 色々美味しかったのですが、中でも猪汁が絶品。 ご近所の豆腐屋さんのちょっと固い豆腐に旨みがしみしみで、うまい! しかも猪汁売り場に“日切さんの主”(管理してくださってる方だそうです)がいて、場所も教えてもらいました。 日切さんの地蔵堂 小学校の裏手の道を少し行くと、日切さんのおわす集落に着きます。 御槇というところは山合いなので寒いのですが、景色は温かみのあるのどかなところです。 日切さんの地蔵堂はノボリが立っていて分かりやすかったです。 地蔵堂に入ると、とても慕われていて大切にされているのが伝わってきました。 お菓子やジュース、お茶などのお供物に囲まれて、アットホームな雰囲気。 なかなかご利益があるのだそうですよ。