投稿

ラベル(飛来神)が付いた投稿を表示しています

114. 天翔る石船
 〈天忍穂別神社 〉

イメージ
  昔々、神さまが乗られた石船が降り立ったところにある神社                        なんと神秘的な伝説でしょうか。 鷹が飛んできたり、御幣が飛んできたり、蹴られた竜が飛んできたり、今までも飛来パターン様々ありました。 神さまが大空を石船でやってくるなんて、これまたドラマチック。 安直なイメージで浮かんだTOKIOの『宙船』を口ずさみながら出発です。 その神社の名は、天忍穂別神社(あまのおしほわけじんじゃ)。 石船さま、石船神社とも呼ばれています。 高知市中心部から車で30分くらいのところにある香南市香我美(かがみ)町にあります。 このあたりのミカンは美味しいことで有名。 「ミカン狩り」の看板もいくつか見かけましたよ。

89. 海に沈んだ伝説

イメージ
  8月8日に「南海トラフ地震臨時情報」なるものが発表されました。 今回は15日に呼びかけ終了となりましたが。 いつかは来るものなのだろうと思ってるんですけどね~。 それでも怖いですよね~。 ということで、今回は『黒田郡(くろだごおり)』について書いてみようと思います。 黒田郡という大きな集落が、天武天皇13年(684年)に起こった白鳳(はくほう)地震で海底に沈んでしまった、という伝説が高知には残っているのです。 ただ黒田郡がどこにあったのかも、その規模もわからないまま。 「土佐大震記」(作者発行年不明)には、 斯く地震のために陥没したる面は、東の方、室戸岬より、西の方、足摺岬にわたる、黒田郡と称ふる一円の田島にして、黒田郡の外に、黒土、上鴨、下鴨の三郷に分れ、石高は二十六万石ほどの地なり。当時此の海辺には、太郎千軒、小田千軒などいへる、賑やかに栄えたる浦里ありしも、此の大地震の時、海底に沉没(沈没)したるなり。 とあるらしいです。 16 世紀末、太閤検地の時に土佐国が届け出たのがは 9 万 8000 石とすると、かなりのものです。 伝説も広範囲にわたっています。 南国市十市、高知市長浜、須崎市野見、四万十町志和、もっと西の土佐清水市にまで伝説があるのですよ。 いろんな機器を使ったり、科学的な調査も行われているんですが特定には至っていません。

42. 高峯神社と、宇佐の竜

イメージ
  ものすごい神社へ行ってきました。 土佐町の高峯(たかみね)神社です。 なにがすごいって、神社の建っている場所がかなりの山の上。 行き着いた御社殿も、想像以上。 資材を運ぶのが難しそうなこの場所に、こんな立派な御社殿がある事に恐れ入ってしまいました。 この神社のことを知ったのは、『とさちょうものがたり ZINE 』という雑誌でした。 もともと土佐町は、高知の中でも面白い試みをしている印象のある町です。 とさちょうものがたり編集部が作って、土佐町役場が発行しているこの雑誌。 写真も内容も、本当に良いんです。 写真は、風景もポートレートもずっと眺めていられる素敵さです。 自分の周りのきれいな景色、自分の周りの人たちの物語、足元にあるものの良さを再認識させてもらえます。 ウェブサイトは今年、地域再生大賞・優秀賞にも選ばれたんですよ。 とさちょうものがたり→ https://tosacho.com そんな『とさちょうものがたり ZINE02 』に、高峯神社の伝説が載ってたんです。 「その昔、土佐市宇佐(うさ)の海の沖に竜が居座ったことがあった。 漁師たちは魚が取れなくなり困窮し、海神様に相談に行った。 海の神は民の声を聞き、竜に近づきおもむろに蹴っ飛ばした。 それでようやく民は魚を獲ることができるようになった。 めでたしめでたし。 この竜がいたところ、それが宇佐町の竜(りゅう)という地名になっている。」 そして、この竜が飛ばされてきたところが、そう高峯神社なのだそうです。 蹴っ飛ばすって 笑 言い伝えの中の神様ってユニークですよね。 これを読んで行ってみたくなったんです。 宇佐の竜の浜 『土佐町史』には、別の話が載っています。 まず、話は白鳳地震(684年)で沈んだとされる、高知の伝説の集落「黒田郡(くろだごおり)」まで遡ります。 その黒田郡に三宝大神がありましたが、白鳳の大地震で海に沈んでしまいました。 神々は、真砂に乗って北の三宝山にたどり着きました。 三宝山は、高峯神社のある山です。 ところが、竈戸神だけは溺れてしまい、土佐市宇佐沖の海底の岩屋にとどまりました。 海中より出たい一心で、竈戸神は光を放ちました。 その光のために魚が取れず、漁民は困り果てました。 ある漁師が、汚物を石にく...

30. タカの神社に詣でたが、タカの夢は見えず

イメージ
  始まりました、2022年。 あけましておめでとうございます。 年始早々、気になっていた神社に行ってみました。 高知県宿毛(すくも)市の大島にある『鷣(はいたか)神社』です。 過去の南海地震の津波がどこまで来たか、という潮位碑があることで知られています。 でも、個人的に気になっているのは『鷣(はいたか)』の方なんです。 タカの一種のようです。 昨年行った、物部の十二所神社の狛鷹が少し気になって。 狛鷹を詳しく書いた回『奥物部へ 其の二、十二所神社』 それで、鳥と神社の関係にくちばしを突っ込みたくなりました、なんて。 あと、飛んできた神様にも興味があるんです。 鳥だけでなく、何かが飛んできたところに神社を建立、的な。 なので、のどQの今年のメインテーマは「飛来神」に決めました。 お年始っぽく、抱負を言ってみる 笑 気にはなってたのですが、今回寄ったのは たまたまです。 同じく大島にあるホテル『椰子の湯』に行ったので、この機会に寄っておかねばと。 『椰子の湯』はお風呂も気持ち良いし、レストランもおすすめです。 元豊ノ島関が監修したちゃんこも食べられますよー。 10年ほど前に、 映画『パーマネント野ばら』 の撮影にも使われてたんですよ。 さて『鷣神社』。 本殿は最近建てられたようで、新しかったです。 階段や鳥居もぴかぴか。 大昔の津波の印がある、と聞いていたので、古い神社を想像していました。 なんの案内もないので、由来も何もわかりません。 見に来る人もいると思われる潮位碑さえも、どれかがわからない。 仕方がないので検索。 ご当地まで行って検索するのって、味気ないなあと思いながら。 結局、潮位碑は、階段の一番上の方にありました。 「宝永地震(1707年)10月4日の大地震で津波がここまで押し寄せる。大島浦全戸流失」 下の道からは、10mほど高さがあるでしょうか。 この位置から眺めてみると、家の屋根の向こうに海が見えます。 あの海が、この高さまで襲ってくるのかと思うと言葉を失います。 実際にこの場に立って眺めてみるとリアルに想像できて、身が引き締まります。 こんな恐ろしいことが起こりうるのか。 安政地震(1854年11月5日)の潮位碑は、一番下、階段7段目くらいのところでした。 しかし...