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116. 皿屋敷異聞 リターンズ
 〈春喜さま〉

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  江戸時代に広まったとされる怪談『番町皿屋敷』。 家宝のお皿を割ってしまったために主人に殺されてしまった女中のお菊さんが、夜な夜な井戸から出てきてお皿を数える物語です。 一ま~い、二ま~い、三ま~い・・・ 恐ろしげな声で語られて肝を冷やした覚え、ありませんか? 昭和世代だけですか? 高知にも皿屋敷伝説がいくつか残っています。 今回はその中のひとつ、南国市篠原にある「春喜さま」という祠に伝わるお話です。

108. 偉大なる祟り神に会いに行く 〜平将門公編〜

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  日本三大祟り神           なかなかインパクトのある言葉です。 なんでもすぐ『三大◯◯』とベスト3を決定したがる日本人。 祟り神までもがその対象になるなんて。 というわけで、三大祟り神。 崇徳天皇と菅原道真公、そして平将門公といわれています。 香川県では、崇徳天皇陵にお邪魔しました。 →コチラ 道真公のエピソードが残る高知県宿毛市にも行ってみました。 →コチラ 残る平将門さんのゆかりの地は、関東が主。 先日、東京に行ったついでに訪ねてきましたよ。 高知では、平将門さんはあまり馴染みがないように思います。 平といえば、平家のイメージですかね。 前にとさみみの皆と『日本一の祟り神は誰なのか』を話したときに、他からは出なかった平将門さんを推したのは、東京育ちのメンバーだったのを思い出しました。 なるほど関東周辺での存在感は絶大なのだなと思ったことでした。 平将門さんといえば、『将門塚』と呼ばれる首塚が有名です。 ビジネス街である千代田区大手町のビルの一角にあります。 30年ほど前、「ここはマジでやばい」という噂を聞いてノコノコ見に行ったことがありました。 なにがやばいか。 そのころはまだフィルムカメラの時代だったのですが、首塚を撮ろうとするとシャッターが下りないだとか、現像したら真っ黒で何も写ってなかったとか。 首塚を何度か移動させようとしたけれど、その度に障りがあって無理だったとか。 戦後、GHQ(第二次世界大戦で敗戦国となった日本にやってきたアメリカなどの連合軍)が首塚を壊そうとしたら工事中に事故があり死者が出たなどなど。 当時、本や雑誌で読んだのであろう都市伝説の数々。 しかもうろ覚え。 まあ、そんなこんなでオフィスビルの中に薄暗く取り残されていた首塚に、ノコノコ行ってみたわけです。 そしてもちろん、びびって写真は撮れなかったわけであります。 そして30年ぶりの訪問。 首塚はとてもきれいに整備され、都会の違和感みたいな雰囲気ではなくなっていました。 今まで6回もの整備工事が行われてきたのだそうです。 カメラもフィルムからデジタルに変わり、ビビらずに写すことができましたよ。

106. 残酷鼻舌物語
 〈馬路の七人ミサキ〉

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  うららかな春の一日、馬路村に行ってみました。 馬路村の特産品は柚子。 柚子ドリンク“ごっくん馬路村”と、柚子ポン酢“ゆずの村”が美味しくて有名です。 町おこしが大成功している村なのです。 そんな馬路村での目的は、七人ミサキ。 またかよ、とか思いました?そう、またですよ~ 工場見学でいただいた“ごっくん馬路村”を飲みながら探索です! 見学させてもらった柚子の森加工場の西側に、金林寺(こんりんじ)というお寺があります。 どうやらお目当ての祠は、この付近にあるようです。 マップには載ってないので、ウロウロしてみます。 金林寺 今回の七人ミサキの説明をば。 400年ほど前、長宗我部元親公が台頭してきたころの戦国時代の話なのだそうです。 そのころの馬路には、馬路若狭守さんとその父龍王守さんという豪族がおったそうな。 お隣の安田を治めていたのは、安田三河守さん。 戦国の世ですからいろいろありまして、安田方が隠密を送り込んだのですが、馬路方に捕らえられてしまいます。 七人はベラ(舌)を切り取られて殺され、一人は鼻をそがれて安田に送り返されたのだそうです。 おお痛い痛い。 その後、この土地にいろいろ不思議なことが起こるので、殺した七人の霊を弔って、七人ミサキと呼んで祀るようになったということです。 というわけで、金林寺の南側の坂を少し登ると「ベライケさま」を発見。 先ほどの話で、切り取ったベラ(舌)だけを埋めて祀ったといわれています。 このベライケさまを祀ってから、祠のあるところを残して周囲が陥没して池になったといわれているそうです。 現在はコンクリートで固められています。 イボのできたときにお願をかけると治るのだとか。 お願ほどきには、川魚を池に放してあげる風があるそう。 金魚が泳いでいて、ほのぼのした景色です。 ベライケさま それとは別に、室戸の金剛頂寺に人間に悪さをする蛇体がいたという話もあります。 弘法大師さまによって封じ込められて、金林寺の住職によってここに迎えられた、という説もあるそうですよ。 金林寺は、弘法大師さまのゆかりのお寺なのです。 「ベライケさま」からもう少しうろついていると、祠がいくつかありました。 もうひとつのお目当て「ハナジョーリさま」が、どれだかわからな...

95. つわものどもが夢の跡
  〈吉良神社・蓮池編〉

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  前回にひき続き、吉良左京進親実(きらさきょうのしんちかざね)さんのゆかりの地を訪ねます。 →前回『ミサキを訪ねて〜吉良神社編〜』 親実さんより100年ほど後に活躍された儒学者・神道家の谷秦山(たにじんざん)先生が、 「文をもって民を導き、武をもって邪を退け、名君の称あり、領民皆心服し厚く敬せられる」 と著書の中に記したように、親実さんは文武ともに優れた方だったようですね。 かわいそうというフィルターがかかって、親実さん寄りの話が多いのかとも思いましたが、それだけではないのかも。 今回は、名君だった説を裏付けるようなサイドストーリーを紹介します。 親実さんは吉良城と蓮池城の城主であり、蓮池左京進とも呼ばれていたそうです。 蓮池城趾は、現在の土佐市蓮池にあります。 埋葬地ではないのですが、親実さんの徳を慕って里人たちが社を建立したのが蓮池の吉良神社。 今は城山公園となっている城趾の東麓にあります。

94. ミサキを訪ねて
  〈吉良神社 編〉

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  長宗我部元親さんの逆鱗に触れて切腹を命じられた吉良親実さん。 26歳という若さで亡くなってしまいました。 その後の祟り話の多さたるや。 前回は、その怪異の数々をざっと紹介しました。 →『土佐随一の怨霊譚』 夜な夜な怨霊が出てくるなんて話を聞かされたら、おちおち外を出歩けません。 いや、家の中でも震えてしまう。 400年たった今でもちょっと怖いくらいですが。 いやでも木塚明神として祀ったら祟りもおさまったそうですし、ゆかりの地に行ってみます!

93. 土佐随一の怨霊譚
  〈吉良親実公と従者七人〉

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  このブログでも何度か紹介してきた怪異、『七人ミサキ』。 とうとう本丸、吉良親実(きらちかざね)さんと七武将の回となりました。 そう、高知県を代表する祟り神です。 常々、祟り神って人望や人気がないとなれないものではないかと思っています。 求心力の落ちてきた権力者によってむごい最期を遂げさせられたときに、祟ることが多いなあと。 パターンは色々ありますが。 人々の「かわいそう」という同情が大前提にあって、「いい人やったのに」「悪いことしてないのに」という思いに比例して大きくなるような気がするんです。 つまり、ものすごく祟った人は人気があった人なのではと推測しているわけです。 ということで、まずは『七人ミサキ』の説明から。 災害や事故、水難などで亡くなった人の霊、もしくはそれを祀ったもののこと。 七人であることが特徴です。 よく言われているのは、野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っていて、生きている誰かに取り憑きます。 取り憑いた人が死ぬと、七人のうちのひとりが成仏できるというもの。 新たに加わったメンバーと共に、また七人で彷徨うというから恐ろしい。 でも今回は、七人(正確には八人)で化けて出るタイプの話です。

86. ミサキ避けのお地蔵さん

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  このブログでも何度かお話ししてきました『七人ミサキ』。 災害や事故、水難などで亡くなった人の霊、もしくはそれを祀ったものを『七人ミサキ』と呼びます。 七人であることが特徴。 いわゆる憑きものの一つですが、海や川で不慮の死を遂げたときにいわれることが多いようです。 高知の話が有名ですが、愛媛や他のところにもあるようです。 よく言われているのは、野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っていて、生きている誰かに取り憑きます。 取り憑いた人が死ぬと、七人のうちのひとりが成仏できるというもの。 新たに加わったメンバーと共に、また七人で彷徨うという話です。 こういう自分たちにも降りかかるかもしれない怪異はどうしても怖いですよね。 身の回りで不運なことが起きるかもしれないとき、人は回避術を作りだします。 ジンクスやおまじないですね。 例えば誰かが死ぬ夢を見たとき、他の人に話したら正夢にならないとか。 親の死に際に立ち会いたかったら、霊柩車や救急車を見たら親指を隠せとか。 恐ろしい『七人ミサキ』に回避術はないものでしょうか? なんと、いの町にミサキ避けのお地蔵さんがおわすとのこと。 仁淀川の河原ということで行ってみました。 国道33号線沿い、いの町「紙の博物館」から仁淀川橋までの真ん中くらいのところに、土手に登る階段があります。 土手に登り仁淀川を見下ろすと河原があり、そこにおられましたよ。 夏なので野の花が咲いていて良い風景です。 近くの木陰も涼しそう。 近所の方の散歩コースなのでしょうか。 台座の割れ目に小さな花が飾られていました。 街の日常に溶け込んだお地蔵さん。 温かい気持ちになりました。 でも、昔はうっそうとした竹やぶが茂っていて、怖いところだったそうですよ。 良い風景になっててよかった~ 外へ出ていて、わけのわからない病気にかかったり、不測のケガなどをすると「ミサキがついた」と騒いだのだそうです。 もう「ミサキがついた」とは言いませんし、病気やケガのときには病院へ行きます。 しかし、それが何回か続くと必ず「お祓いしてもらったら」と言う人が出てきます。 薄れてはいますが、考え方は残っているのを感じるときがあります。 日常のあちこちに現れるミサキ。 そのミサキがつくのを守...