高知市から西に1時間ほど行くと、四万十町があります。 高知県にはなぜか四万十町と四万十市があり、県民もすぐこんがらがります。 結局、旧地名で呼ぶことに。 まどろっこしいので、どっちか変えてくれないかしら。 四万十町は美味しいお店がいくつもあるので、探検も楽しいんです。 ただ、中心部から奥に行くとお店はなくなるので要注意ですよ。 この日は、大人気の『満洲軒』のジャン麺をいただき、その後は伝説の匂いのする方にぷらぷらとドライブ。 すると、とある橋のたもとに立て看板を発見しました。 欄干には『日野地大橋』と書かれてあります。 立て看板なんて珍しい。 「この橋渡るべからず」と書かれてたりして。 なんて思いながら車を降りてみると・・・伝説発見! 『なべ石』と書かれています。 橋の下にある大きな岩のことでしょうか。 なべ石と淵 それによると、その昔、神西に松岡孫右衛門さんという鵜飼がいたのだそうです。 ある時、なべ石の淵で鮎漁をしていました。 すると、潜った鵜たちが戻ってこなくなりました。 おかしいと思った孫右衛門さん、尺八寸の銘刀をくわえて潜ってみました。 尺八寸って、約54.5cmくらいですか。 淵の奥深くに月宮殿があり、鵜たちは皆その止まり木に泊まっていました。 その側では、妙齢の美人が機を織っていました。 「直ちにその鵜を返せ」 孫右衛門さん、美人に迫ります。 「この淵は私の領分であるのに、お前は淵を荒らしにくるから返せない」 美人も言い返します。 孫右衛門さんは、くわえてきた銘刀で勝負に出ます。 すると、一天にわかにかき曇り、美人はたちまち形相が変わり大蛇になりました。 孫右衛門さんはほうほうの体で逃げ帰ったのでした。 その後孫右衛門さんは、大蛇が金物類を忌み嫌うと聞き、鍋の古金を落とし込み大蛇を追い払ったのだそうです。 そこから『なべ石』という地名がついたのだとか。 今でも右岸の岩には、その月宮殿の跡がわずかではあるが残っているのだそうです。 橋の下を流れる川は四万十川の支流、日野地川です。 真下にある深そうな淵、ここに大蛇がいたのかしら。 それにしても、月宮殿なんて風流な名前じゃないですか。 いったいどんな館だったのでしょう。 月宮殿の美人さん、シュッとした顔立ちで長い髪で・・・妄想が止まりません。 日野...