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99. 銀笛を吹く君の肌は冷たし
  〈白水の滝〉

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  2025年が始まりました! 今年もあちらの伝説こちらの風景をご紹介していきますので、お付き合いくださいませ。 今年は巳年。 ヘビの伝説の宝庫といえば、やはり滝(←あくまでも個人の意見) ということで、滝からのスタートです! 前回は、虚空蔵山に残る『徐福伝説』について書きました。 2200年前に中国から不老長寿の薬を求めて旅立ち、嵐にあい虚空蔵山にたどり着いたという壮大なストーリーです。 →気になる方は 『面白き伝説の山、虚空蔵山』の回 もぜひ

98. 面白き伝説の山、虚空蔵山

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  土佐市と須崎市と佐川町にまたがる虚空蔵山(こくぞうさん)。 頂上に電波塔が何本か立っているので、遠目からもわかりやすい山です。 土佐市の戸波(へわ)や須崎市では、虚空蔵山に雲がかかると雨が降ると言われているそうですよ。 標高は675m、頂上付近からの眺めは最高です。 目の前には横浪半島、その向こうには広々とした太平洋。 天気がいいと、遥か遠くに室戸岬や足摺岬が見えるのだとか。 いやあ、とにかく気持ちがいい景色。 山なんて登りたくないって方にも朗報、車でも行けちゃいますよ。 虚空蔵山の中腹(山頂に近いと思われる)に、鉾ヶ峯寺(ほこがみねじ)というお寺があります。 本によっては「鉾」が「矛」になっていたり、「峯」が「峰」になってたりしますが、今回はお寺の看板(山号というのかな)に従っておきます。 地元では作物を守る本尊として古くから厚い信仰を寄せているという鉾ヶ峯寺。 毎年3月21日に春季大祭が行われているそうです。 五穀豊作の大祈願もあり、お百姓さんたちに大人気のお祭りだったようです。 昭和38年の高知新聞には、「行楽と信仰かね一万五千人の人出」という記事が。 出店も出て、終日アリの行列くらいの参拝客でにぎわっていたそうですよ。 山道に一万五千人って! 当時が偲ばれる手書きの看板 その春季大祭では、稲の占クジなるものがあるそうです。 早、中、晩稲の豊凶を占って決めるのだとか。 つまり、その年は稲を作り始める時期が早いほうがいいか遅いほうがいいかを占うってことですね。 天気予報が発達した現代でも、お米の不作のニュースはよく耳にします。 仏さまに決めてもらうと心強さがワンランクアップしそうですね。 今も占クジをやっているという話を小耳にはさんだのですが、確かめてはいません。 お祭りの時期でもない平日の鉾ヶ峯寺は、侘び寂び感がただよういい佇まいの山寺。 広い境内は静寂な雰囲気で、まるで絵のようです。 夏休みの図画の宿題にぜひおすすめしたい。 鉾ヶ峯寺 この虚空蔵山には、もうひとつ壮大な伝説があるんです。 それは、約2200年前、秦の始皇帝の頃の話です。 秦の始皇帝と言われてもピンとこないかもしれませんが、漫画『キングダム』の嬴政(えいせい)といえばなんとなく分かる方もいるのではないで...

83. 殿さま、馬から落ちるってよ

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 使うまいとは思ってるんですよ、小説『桐島、部活やめるってよ』をもじったタイトル。 また付けてしまいました・・・ さて『桐島、部活やめるってよ』は映画にもなっていて、神木隆之介さん主演で高知が舞台でした。 高知で神木さんといえば『らんまん』が記憶に新しいところ。 牧野富太郎さんが主人公のモデルとなったドラマです。 その牧野富太郎さんの出身地といえば、佐川町。 高知市から車で40分ほど西に進んだところにあります。 江戸時代には、土佐藩筆頭家老の深尾氏の城下町として栄えておりました。 前置きが長くなりました。 今回は、その深尾のお殿さまのお話です。 藩主の山内氏とのつながりも深かった深尾氏、土佐藩の中での力は絶大だったようです。 土佐藩の中に、もうひとつ小さな藩があるかのようだったといわれるほど。 本来なら高知城下に住まなくてはならないところを佐川に居住すことを許され、必要なときに高知城に出向くというスタイルだったそうです。 その城下に向かう深尾氏一行は、まるで大名行列のようなきらびやかさ。 長い棒の先にポンポンがついたような「毛槍」の羽根をなびかせながら、しづしづ練り歩いていたのだそうです。 その行列の中、金銀を散りばめたくらを付けた馬にまたがった深尾のお殿さま。 加茂にある十二所権現の前を通るときに、決まって落馬するんですって。 今日こそは、と警戒していてもやはり落馬。 あっという間にあっけなく落ちてしまうのだそうです。 目のやり場に困ります(←村人目線)

82. 機魔ヶ淵は、不気味に光る

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 淵というものは、なぜ怖く感じるのでしょうか。 昔から主が住んでいる、と言われても信じてしまうような底知れぬ怖さ。 覗き込むのさえ腰が引けてしまうくらいの。 濁っていても澄んでいても怖いのだから厄介です。 個人の感想と言われればそうなのですが、伝説の多さを考えるとそうとも言い切れないかもしれません。 伝説では、だいたいなぜか淵の底で女の人が機(はた)を織っています。 しかも美女多め。 機とは機織り機のことで、糸から布を作る機械です。 人気のゲームで機織り機を知ったという世代もいるかもしれません。 そんな機織り淵の伝説は、日本各地に残っています。 このような伝説が生まれたのは、かつて村の娘が人里離れた水辺に棚を作って、神に供える布を機で織っていたことに由来するといわれているそうです。 昔はお洋服屋さんもありませんから、機織り機で布から作らねばなりません。 『鶴の恩返し』や『七夕』にも機織りする女性が出てくるように、おもに女性の仕事だったようですね。 そして、水辺に棚を作って機を織った習俗から『棚機(たなばた)』つまり『七夕』の伝説につながっていくという説もあるのですよ。 (棚が何なのかよくわからないのでボンヤリした書き方でスミマセン) というわけで、今回はそんな機織り淵伝説のひとつ『機魔ヶ淵(はたまがふち)』です。 舞台は牧野富太郎博士の出身地、佐川(さかわ)町。 その佐川町を流れる柳瀬川のお話です。 ちなみに、高知県はだいたい山が北側に、海が南側にあるので、川が北から南に流れています。 しかし佐川町では柳瀬川など、南から北に流れているんですって。 そこから「逆川(さかがわ)」になり、転じて「佐川」になったといわれているのだそうですよ。