土佐市と須崎市と佐川町にまたがる虚空蔵山(こくぞうさん)。
頂上に電波塔が何本か立っているので、遠目からもわかりやすい山です。
土佐市の戸波(へわ)や須崎市では、虚空蔵山に雲がかかると雨が降ると言われているそうですよ。
標高は675m、頂上付近からの眺めは最高です。
目の前には横浪半島、その向こうには広々とした太平洋。
天気がいいと、遥か遠くに室戸岬や足摺岬が見えるのだとか。
いやあ、とにかく気持ちがいい景色。
山なんて登りたくないって方にも朗報、車でも行けちゃいますよ。
虚空蔵山の中腹(山頂に近いと思われる)に、鉾ヶ峯寺(ほこがみねじ)というお寺があります。
本によっては「鉾」が「矛」になっていたり、「峯」が「峰」になってたりしますが、今回はお寺の看板(山号というのかな)に従っておきます。
地元では作物を守る本尊として古くから厚い信仰を寄せているという鉾ヶ峯寺。
毎年3月21日に春季大祭が行われているそうです。
五穀豊作の大祈願もあり、お百姓さんたちに大人気のお祭りだったようです。
昭和38年の高知新聞には、「行楽と信仰かね一万五千人の人出」という記事が。
出店も出て、終日アリの行列くらいの参拝客でにぎわっていたそうですよ。
山道に一万五千人って!
当時が偲ばれる手書きの看板 |
その春季大祭では、稲の占クジなるものがあるそうです。
早、中、晩稲の豊凶を占って決めるのだとか。
つまり、その年は稲を作り始める時期が早いほうがいいか遅いほうがいいかを占うってことですね。
天気予報が発達した現代でも、お米の不作のニュースはよく耳にします。
仏さまに決めてもらうと心強さがワンランクアップしそうですね。
今も占クジをやっているという話を小耳にはさんだのですが、確かめてはいません。
お祭りの時期でもない平日の鉾ヶ峯寺は、侘び寂び感がただよういい佇まいの山寺。
広い境内は静寂な雰囲気で、まるで絵のようです。
夏休みの図画の宿題にぜひおすすめしたい。
鉾ヶ峯寺 |
この虚空蔵山には、もうひとつ壮大な伝説があるんです。
それは、約2200年前、秦の始皇帝の頃の話です。
秦の始皇帝と言われてもピンとこないかもしれませんが、漫画『キングダム』の嬴政(えいせい)といえばなんとなく分かる方もいるのではないでしょうか。
映画では吉沢亮さんが演じている役です。
そう、あの時代。
始皇帝から命を受けて、3000人の男女と技術者を連れ、不老不死の仙薬を求めて東方の海へ船出した「徐福(じょふく)」という人がいたそうです。
徐福さん一行は、日本にやってきます。
そして九州方面から土佐沖にさしかかったときに暴風雨にあい、散り散りになったというのです。
徐福さんの船は、須崎の浦ノ内湾に漂着したのだそうです。
その時に、背後にそびえる虚空蔵山が目的の蓬莱山ではないかと思い登ってみたとのこと。
夜明けに頂上に到着した一行は、大海原に上がる日の出に感激。
望郷の思いがつのり涙を流しながら、それぞれの鉾を高くかざしたので、この地を「鉾ヶ峯」と呼ぶようになったともいわれているそうです。
徐福さん一行はこの地にしばらく留まり、蓬莱山に住むといわれる仙人を探したけれど会うことができなかったということです。
木が生い茂ってますが、鉾ヶ峯寺からの眺めもいい |
徐福さん、旅立ったという伝説が残る中国では実在した人物という認識なんだそうです。
通過したという話が残る韓国や、渡来したといわれる日本では、どっちかといえば伝説上の人物とされています。
徐福伝説が残るところは、日本だけでも二十数ヶ所あるそう。
王の命を受けた冒険譚なんて、わくわくしますものね。
仙薬を求めて船で旅立つなんてドラクエ感があるし。
そんなこんなで各地で伝えられてきたのでしょうか。
でも実は・・・
現在の研究では、徐福さんは始皇帝の暴政から逃れるために始皇帝の不老不死への執着を利用したのではないかといわれているようです。
帝をだまして、数多くの若い男女と技術者を連れて海外移住したのではないか、とか。
本当は旅立ってなかった説まであるそうですよ。
王を欺く痛快な物語、それはそれで人気がありそうです。
掘れば掘るほど面白い虚空蔵山。
虚空蔵山に登るなら、佐川町の斗賀野(とがの)からがおすすめです。
「ツツジ園」がある方の道です。
土佐市の永野からの道は急な細い坂道で、前のない軽自動車(軽トラなど)の四駆でないと厳しいらしいですよ。
2024年も『とさみみぶろぐ』を読んでくださり、ありがとうございました。
調べたいことや行きたいところがまだまだあるので、また来年もお付き合いくださいませ!
それでは、良いお年を。
参考文献 : 広谷喜十郎さん著『佐川の虚空蔵山と徐福伝承』(「佐川史談/霧生関」より)、高知新聞社『四国百山』、華雪梅さん著『徐福伝説と民俗文化』、高知新聞/昭和38年3月23日分
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