82. 機魔ヶ淵は、不気味に光る


 淵というものは、なぜ怖く感じるのでしょうか。

昔から主が住んでいる、と言われても信じてしまうような底知れぬ怖さ。

覗き込むのさえ腰が引けてしまうくらいの。

濁っていても澄んでいても怖いのだから厄介です。

個人の感想と言われればそうなのですが、伝説の多さを考えるとそうとも言い切れないかもしれません。




伝説では、だいたいなぜか淵の底で女の人が機(はた)を織っています。

しかも美女多め。

機とは機織り機のことで、糸から布を作る機械です。

人気のゲームで機織り機を知ったという世代もいるかもしれません。

そんな機織り淵の伝説は、日本各地に残っています。




このような伝説が生まれたのは、かつて村の娘が人里離れた水辺に棚を作って、神に供える布を機で織っていたことに由来するといわれているそうです。

昔はお洋服屋さんもありませんから、機織り機で布から作らねばなりません。

『鶴の恩返し』や『七夕』にも機織りする女性が出てくるように、おもに女性の仕事だったようですね。

そして、水辺に棚を作って機を織った習俗から『棚機(たなばた)』つまり『七夕』の伝説につながっていくという説もあるのですよ。
(棚が何なのかよくわからないのでボンヤリした書き方でスミマセン)




というわけで、今回はそんな機織り淵伝説のひとつ『機魔ヶ淵(はたまがふち)』です。

舞台は牧野富太郎博士の出身地、佐川(さかわ)町。

その佐川町を流れる柳瀬川のお話です。

ちなみに、高知県はだいたい山が北側に、海が南側にあるので、川が北から南に流れています。

しかし佐川町では柳瀬川など、南から北に流れているんですって。

そこから「逆川(さかがわ)」になり、転じて「佐川」になったといわれているのだそうですよ。


橋から北側の眺め


その柳瀬川にかかる宮之原橋のたもとに、昼も暗いほど杉の大木が茂ったところがあり、その下の大岩の沿って機魔ヶ淵と呼ばれる恐ろしい淵があったそうです。

昭和の初めまで、うっそうとした林の中に紺碧の水が不気味に光っていて、大蛇がいるともいわれていて、日が暮れると通る人もいなかったということです。

昭和の後の方の写真では、みんな泳いでいたのですが。


現在の宮之原橋


昔、慶長の頃(1600年前後)とも申しますが、郷社宮之原八幡宮の神職に横畠兵部さんという人がいました。

兵部さんには、機織り上手できれいな娘さんがいました。

ある日のこと、この娘さんが機の道具を借りにいくと言ったまま、日が暮れても帰ってきません。

皆で探し回りましたが、三日たっても四日たっても見つかりませんでした。

誰いうともなく、機魔ヶ淵の蛇神に引き込まれてしまったのではないかという噂が立ちました。




父親の兵部さんは気の強い人だったのでその噂を聞いて怒り、それが本当なら取り返してくると周りが止めるのも聞かず、淵に飛び込んだのだそうです。

そして淵の底に潜っていくと、大きな門がまえの家にたどり着きました。

しかし声をかけても答えがなく、しんとしています。

気味が悪いと思いながら耳を澄ましてみると、奥の方から機を織る音が聞こえます。

音のする方に無断でぐんぐん入っていくと、機織り部屋から

「お父さんじゃありませんか」

と声がして、何日か前の姿のままの娘さんが出迎えてくれました。




兵部さんは、母も心配で寝込んでいるので帰ろうと言いましたが、娘さんははらはらと涙を流しながら親不孝をわび、ここに来た以上は人間の世界には帰れません、それに子供もできておりますのであきらめてくださいと言いました。

兵部さんは驚きながらも、孫の顔を見せてくれと頼みます。

そして隣の部屋で寝ている孫を見て、またびっくり。

二匹の蛇の子がとぐろを巻いて寝ております。

兵部さんは度胸のある人なので、肝をつぶしながらも平気な顔で、

「それならば仕方ない、わし一人で帰るから達者に暮らせよ」

と帰ろうとすると、せっかくなので一晩だけでも泊まって行ってくださいとせがまれて、泊まることにしました。




あくる朝、娘さんが何もお見せするものがないのですが、裏庭に不思議なものがあるのでぜひ見てもらいたいと、裏座敷の障子をずらりと開け放つと、そこには広々として美しい目の覚めるような庭が春夏秋冬と四つあって、夢を見るほどにきれいなものであったということです。

兵部さんは庭へ下りてあたりを眺め、そしてもう帰ると告げました。

娘さんも、蛇主が戻ってくる前に帰られた方がよいと同意。

娘さんは、宮之原八幡宮の馬場先の川原まで見送ってくれ、お土産にと赤と白の南天の実を握らせてくれたそうです。

馬場へ上って振り返ると、川の中から蛇の尾を出しながら見送ってくれておりましたが、やがて川の中へ姿を消したそうです。




家に帰り着いてみますと、親類や近所の人が集まって何やらにぎやかです。

そこに入っていくと、幽霊じゃないかと皆大騒ぎ。

なんでも、三年前に機魔ヶ淵に入水してから帰ってこないので、兵部さんの三年の法事に集まっていたとのこと。

それは驚きますね!


橋から南側の眺め


その後、兵部さんは息子に神職を譲り寺野という地区に移り住んだとのこと。

娘さんからお土産にもらった南天は、その寺野の家で見事に大きくなったようですが、大正の頃に枯れたそうです。

「竜宮から持ち帰った南天」と記述されている本もあります。

機織り淵のほかに竜宮淵の話も全国各地にあるようなので、そのあたりの境界線が気になるところです。

確かに話の流れは浦島太郎に似ているような。


現在の宮之原橋


現在は宮之原橋の下もきれいに整えられていて、それほど不気味ではありません。

昭和の初めの頃までは娘さんを祀った小さな祠があったようですが、もう見当たりませんでした。




その他の機織り淵の話は『水中で美女は機を織る』の巻に書いてますので、合わせてどうぞ。



参考文献 : 桂井和雄さん著『土佐の傳説』、坂本正夫さん・高木啓夫さん著『39

 日本の民俗 高知』、佐川町史






コメント