このブログでも何度か紹介してきた怪異、『七人ミサキ』。
とうとう本丸、吉良親実(きらちかざね)さんと七武将の回となりました。
そう、高知県を代表する祟り神です。
常々、祟り神って人望や人気がないとなれないものではないかと思っています。
求心力の落ちてきた権力者によってむごい最期を遂げさせられたときに、祟ることが多いなあと。
パターンは色々ありますが。
人々の「かわいそう」という同情が大前提にあって、「いい人やったのに」「悪いことしてないのに」という思いに比例して大きくなるような気がするんです。
つまり、ものすごく祟った人は人気があった人なのではと推測しているわけです。
ということで、まずは『七人ミサキ』の説明から。
災害や事故、水難などで亡くなった人の霊、もしくはそれを祀ったもののこと。
七人であることが特徴です。
よく言われているのは、野や川で変死した人の霊が七人で彷徨っていて、生きている誰かに取り憑きます。
取り憑いた人が死ぬと、七人のうちのひとりが成仏できるというもの。
新たに加わったメンバーと共に、また七人で彷徨うというから恐ろしい。
でも今回は、七人(正確には八人)で化けて出るタイプの話です。
吉良神社 |
吉良左京進親実さんは、長宗我部元親さんの甥であり婿でした。
400年以上前の戦国時代の話です。
元親さんは、戸次川の戦いで長男を亡くします。
二男・三男よりも、お気に入りの四男の千熊丸に跡を取らせたいと言いはる元親さん。
その上、千熊丸と長男の娘と結婚させようとします。
叔父と姪ですね。
そうこうしているうちに、二男が病死。
しかし三男の親忠さんがいるのに四男に継がすのはおかしい、そして姪との結婚も違うのではないか。
そう言って反対したのが、『七人ミサキ』の主人公である吉良左京進親実さんと比江山掃部介親興(ひえやまかもんのすけちかおき)さんです。→『比江山の七人ミサキ』
若い頃から活躍し成功、50歳になろうかという権力者のわがままに、常識ある正論で立ち向かっていったお二人。
そこに元親の寵臣一の家老である久武親直さんが
「(お二人に)謀反の志あり」
と元親公のお耳にささやいたといわれています。
こうして吉良左京進親実さんと、比江山掃部介親興さん一族を自刃誅伐するというセンセーショナルな騒動が起こったのです。
親実さんは、天正18年10月、小高坂の宿舎で切腹。
26歳の若さでした。
親実さんと共に自刃した臣下や、徳を慕って殉死した僧侶などが合わせて七人。
これが『七人ミサキ』の始まりです。
親実さんの墳墓は、そのころ小高坂にあったようですが、そこから夜な夜な鬼火が上がると誰とはなしに言い始めたとのこと。
在りし日の姿のままの七人の亡霊が夜歩きするともささやかれたそうです。
親実さんの領地だった土佐市の蓮池城から小高坂の墳墓までの道には、白馬に乗った武士に従う七人の従者が見えることがあったとか。
小高坂の切腹現場付近には、白馬に乗った首なし武士が出たり、片目の美女が太鼓を叩いて踊ったり、とにかく奇怪な噂が後を絶たなかったみたいです。
ある夜ふけに仁淀川の渡し船を西岸から呼ぶ声がしたので、渡守が船を漕ぎ寄せてみたけれど人影がありません。
空耳かと戻ろうとすると、ドヤドヤと6、7人の人数が乗りこんだけれども姿は見えず。
恐怖のまま目に見えない人間を乗せて東岸に漕ぎつけると、再びドヤドヤと陸地へ上がる音が。
「吾は左京進の幽霊なり。妄執の恨はらすために大高坂へ急ぐなり」
という声が闇から聞こえたといいます。
ちょうど元親さんが大高坂城(現在の高知城)に住まわれた頃なのでしょう。
最初は小高坂と蓮池城下にのみに現れていたそうですが、いろいろなところで話が出るようになり、人々は『七人ミサキ』と名付けて恐れたのだそうです。
そして『七人ミサキ』に遭って病になったと祈祷する者もいたということです。
親実さんの住居があったとされるところ |
讒言したとされる久武さんの一族にも祟りが降り注いだようです。
子供たちが自害したり乱心したり、次々と悲惨な死を遂げたとされています。
妻も自害したとのこと。
大高坂城内にも怪しいもののけが夜ごと出没して元親さんを悩ます、という噂もたったといいます。
そしてとうとう元親さんも、国分寺で数十人の僧侶を集めて供養をしました。
結願の日、位牌が祭壇の上から中空へ舞い上がって僧侶たちが驚倒したそうです。
それでもあまり効果がなく、悩んだ元親さんは老臣の進言を聞き入れて、木塚の地に社を立て親実さんを祀ったということです。
それが木塚明神、春野にある吉良神社です。
境内には『七人ミサキ』の七人を祀った七社明神もあります。
その後、怪異は収まったそうですよ!
続きは、次回。→『ミサキを訪ねて〜吉良神社編〜』
参考文献 :
春野町西分神社総代会『御祭神 吉良左京進親実公資料文献輯』
宅間一之さん著『春野 歴史の百景』
国府村史
高知新聞(1984/3/13)市原麟一郎さん文『土佐民話の里めぐり・春野町編』
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