73. 久保村の伝説

 

今回は、いきなり伝説から始まります。




その昔、物部の久保村(現在の香美市物部町)に久保源兵衛さんという男がおりました。

冬谷という川にある轟の釜という渕には、昔から恐ろしいヌシが住むといわれていたそうです。

源兵衛さんは豪胆な男でしたので、轟の釜のたたりにまつわる恐ろしい話を一笑に付し、

「明日は冬谷で『から川流し』を行い、ヌシなどいないと証明しよう」

と宣言しました。




『から川流し』とは、劇薬を川に流して魚を取る方法だそうです。

昔からあった漁法のようです。

でも人間にとっては劇薬にならないものなのでしょうね。

サンショウなどを流すらしいですが、このお話では何を使ったのかは分かりません。




とにかく劇薬を流し入れると、半時もたたないうちに魚たちが白い腹を見せてぷかぷか。

その晩は、源兵衛さんの屋敷で大宴会です。

魚づくしだったことでしょう。




翌日、恐ろしいほどの大暴風雨が久保村を襲います。

大雨と雷鳴が一昼夜続き、ついに源兵衛さんの屋敷の裏山が山崩れを起こしました。

恐ろしい大音響と共に、一瞬のうちに崩れ去ったといいます。

久保源兵衛さん以下28名が亡くなった、天明8年(1788年)の『久保の大崩え(おおつえ)』です。

722日から25日にかけて降った大雨による山崩れと記録されています。




山の多い日本。

地滑りや土砂崩れのリスクは常にかかえています

久保村が一瞬で無くなってしまった恐ろしさ。

文明が少し進んだ現代においても、自然災害を前にして感じる無力さは同じです。





このお話、久保大八さんバージョンもありまして。




久保大八さんは、なかなかの大男で村の殿様のように威張っていたようです。

ある時、『サンショウ流し』をすると言い出しました。

村の人たちは大八さんの言いなりなので、村中で準備しました。




あと3日でサンショウを川へ入れるという日の晩のこと。

大八さんの夢枕に美女が立ちました。

「私はこの川の渕に住む蛇です。

今、子供をかえしているところです。

どうぞサンショウ流しだけは見合わせてくだされ。」

と涙ながらに頼みますが、大八さんは耳を貸しませんでした。




その日から遠くで「ソライクゾー、ソライクゾー」という声がかすかに聞こえ始めました。

その声は次第に近づき、地の底からどよめくような声になっていきました。

そして明日の朝からサンショウ流しをするという夜中に、大音響と共に大きな山崩れが起こり、久保村はすっぽり埋もれてしまったということです。

大八さんバージョンは、もっと昔話っぽくなっていますね。






そして、生き残った久保村の人々が移り住んで祀ったのが、香美市土佐山田町にある久保神社だといわれているそうです。




そばに山のない環境を選んだのでしょうか。

川の近くの開けた土地です。




久保神社、鳥居と鳥居の間に道路が走っています。

鳥居をくぐって、左右確認して道路を横断してお参りすることになります。

開発が進み神社の敷地が狭くなることはあることなのですが、この削り方は初めて見たかも。




昔は、香美市のあたりに韮生(にろう)郷と呼ばれるいくつかの村の集合体があり、その中のひとつが久保村だったようです。

韮生郷には平家伝説も多くあるみたいですよ。

逃げのびた安徳帝一行が最初に行宮を造られたのが久保村だという話もあるそうです。





『アンパンマン』の作者やなせたかし先生のご実家が香美市香北町だったということで、市内にはアンパンマンミュージアムもあります。

その辺りもおそらく韮生郷。

伝説好きには、クセになる香美市なのです。




参考文献 : 広報香美、市原麟一郎さん著『土佐の神仏たんね歩記』『山田・南国伝説散歩』、広谷喜十郎さん著『土佐史の神々』、四国災害アーカイブス、香北町史


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