71. 一言主神のお引越し 〜土佐神社の礫石〜

 

2023年も残すところあと1日となりました。

この間の日曜市で「年の瀬に大きな物を食べると来年出世する」という俚言を教えてもらいました。

クジラやブリなどの大物を食べるのだそうです。

それに倣って『とさみみぶろぐ』も大きな神社でいくぜよ。




高知の一の宮(いちのみや)、それは土佐神社です。

一宮(いっく)という地域にあり、『しなね様』と呼ばれて親しまれています。

御祭神は、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)と一言主神(ひとことぬしのかみ)です。


土佐神社


その土佐神社の奥に『礫石(つぶていし)』という岩があります。

古代には磐座として祀られていたようです。

「土佐の傳説」で高さ1.8m周囲9mくらいだと書かれていますが、目視ではもう少し小さい気がします。

この『礫石』の伝説が面白いんです。




今から1500年ほど昔、雄略天皇の四年(460年)12月30日に、一言主神が龍半島の南岸・神崎(甲崎)から上陸されたところから始まります。

1563年前の今日ですね。

暦が違うと思うので正式には違うかもですが、ちょっと嬉しい。




上陸したところにほど近い、高岡郡浦の内(現在の須崎市浦ノ内)に宮を造って「加茂の大神」として奉られたそうです。

ところが、何かしっくりこなかったようで・・

側の石を取って、この石が落ちたところに自分を祀れとおっしゃって投げ給うたそうです。

そして、石は14里(約55km)離れた現在の一宮の地に落ちたのだそう。

その投げた石が『礫石』だというわけです。

個性的な引越しスタイル。




一宮側の話もありますよ。

ある晩西南の空が急に明るくなったかと思うと、丸い大きな物体が不気味な音をさせて飛んできて、七日七晩ぐるぐる回って落下したそうです。

天変地異の前触れかと恐れおののく村人たちのところへ鳴無(おとなし)神社からの飛脚が到着。

「この地に土佐大神を祀れ」という神のお告げを知らせたということです。


礫石



最初に宮を建てたといわれるのが、先ほど出てきた鳴無神社です。

浦ノ内は、とても風光明媚なところ。

対岸の緑に穏やかな海がきらきら映えて、ぼーっと眺めるのは最高ですよ。

そんな浦ノ内に鎮座する鳴無神社がまた風流。

しかし、一言主神にはしっくりこなかったのですね。


鳴無神社



毎年8月24、25日は、土佐神社で『志那禰(しなね)祭』があります。

お神輿が、1.5kmほど離れたところにある御旅所まで練り歩きます。

古代から中世にかけては、お神輿を船に乗せて鳴無神社まで渡していたのでそうです。

だから別名「御船遊び」ともいわれているそうですよ。




しかし海難事故が相次いだため、江戸時代に距離を短縮。

五台山のふもとにある小一宮様(現在の土佐神社離宮)までになったそうです。

太平洋に出ない方が安心安全。

そして明治時代にさらに短縮、徒歩で行ける今の御旅所を設けたのだそうです。

とはいえ、現在も鳴無神社に向かって巫女さんが神楽を奉納しているとのことです。


現在の御旅所


鳴無神社でも同じ日に『志那禰祭』が行われています。

こちらは「御船遊び」が残っています。

鳴無神社は海に向かって建っているので、とても雅な光景です。




この『志那禰祭』の日は、雨が降ると昔からいわれています。

他の地域で降らなくても、一宮では降ったという話もあります。

みんなが口を揃える不思議な話。

さすが高知の一の宮。




今年も一年『とさみみぶろぐ』をお読みくださりありがとうございました。

あれこれ試行錯誤しながら、2024年も楽しんで続けていきます。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆さま、どうか良いお年をお迎えください。




注1※礫石の伝説は、“あじすきバージョン”と“ひとことぬしバージョン”が存在しています。。

今回は一言主神でいきました。


注2※最初に「加茂の大神」として祀ったといわれる場所は鳴無神社の地のほかに、須崎市の賀茂神社黒潮町の加茂神社なども候補地なのだそうですよ。




参考文献 : 須崎市史、桂井和雄さん著『土佐の傳説』、一宮村・高知市合併50周年記念事業実行委員会『一宮 未来に翔る』、三橋健さん総監修『日本の神社大全13』、礫石案内板、Wikipedia


コメント