51. 鈴波は、地震の前兆 〜黒潮町・加茂神社〜


今年の夏は暑かったですね!

お弁当を食べようと思っても、車から降りられないくらいの暑さ。
そんな日は、ちょっと雰囲気のいい木陰を探してウロウロです。



本日の場所は黒潮町。

入野というところには、素敵な浜があります。
本当なら浜で食べたいところですが、今日のところは浜近くの松原でガマン。
良い木陰を見つけてランチタイムです。

食後ちょっと散策してみたら、すぐそこに神社が。
この神社、もしかして・・・




高知県には、『延喜式神名帳』に記載されている神社が21座あります。
幡多郡にあるのは、そのうちの3座。
宿毛市の「高知坐(たかちにます)神社」は、名前に惹かれて行きました。
土佐清水市の「伊豆田(いずた)神社」は、南国市の神社と三姉妹という逸話が面白くて訪ねました。
残るは、黒潮町にある「加茂(かも)神社」。
まあ、そのうち行ってみようくらいに思っていました。
行き当たりばったりランチタイムに、ばったり神社に行き当たる!





「加茂神社」、予想していたより社殿が小さめでした。
面白いなと思ったのは、砂地であること。
入野の浜と同じさらさらの砂なんです。
杉並木の間の長い参道も、砂地です。
ああ、なんかオシャレ感。
狛犬のそばに貝殻が。

ああ、アロハとかマハロとか言ってしまいそうな雰囲気。





開放的な境内に、安政津波の碑が立っています。




黒潮町は南海トラフの津波予想で、最大津波高が34mというショッキングな数字が出ています。
ビルで言うと10階以上の高さ。
地形的に津波が高くなりやすいのでしょうか。
安政や宝永の時にも、大きな被害が出たようです。
未来のみんなの被害が少しでも減るように、警告してくれている石碑。
百年、二百年前の人たちが心配してくれているって、なんかすごくないですか?

自分たちは、何百年後の人たちを思いやってあげられるのかな?




この碑には、『鈴波』は地震の前兆なので気をつけて───
というようなことが書かれているようです。

はて鈴波?




安政元年11月5日、南海トラフの大地震が起こりました。
津波の被害は、やはり大きかったようです。



その前日の昼頃。
気づかない人もいたくらいのかすかな地震があったようです。
そして、地元の漁師さんたちも首をひねるような波の変化が。
台風でもないのに、広い浜が半分ほど浸かったのだそうです。
しかも、大きなザバーン系の波ではなく、じわじわ上がってくる低い波。

「芋飴を流したような」と形容されています。

ずりずりと浸かってきたのでしょうか。




その後も、やはりいつもと何か違ったようです。
波は決して高くはないのですが、満ちてみたり引いてみたり。
海が妙に忙しなかったようです。
漁師さんたちは、この日の波を『鈴波』と呼んだということです。



現在『津波』と呼ばれている波を、当時は『大汐(おおしお)』と呼び、被害が出ないくらいのものが『津波』と呼ばれていたようです。
『鈴波』は、この『津波』が訛ったのではないかという説もあるようです。




これはおかしいぞ!というレベルなら分かりやすいんですけどね。
どうやら、なんかおかしい・・くらいの変化だったようです。

宝永の大地震の前は、地震がだんだん強くなり、川の水が無くなったなどの分かりやすい前兆があったらしいです。

安政の大地震の前は、『鈴波』以外はこれといった前兆は無かったと。
「ただ近年殊の外暖かく、夏は堪えがたいほどであった。」
の一文が、ちょっと背筋が寒くなります。
この堪えがたい暑さの昼下がりに・・・・




もう一つ面白い言い伝えが。
加茂神社の社殿、宝永の大津波で浮いたそうですが、潮が引くと寸分違わず元の位置に戻ったそうですよ。
イリュージョン!




加茂神社、大晦日の夜には400個の灯籠が参道に並んで幻想的な雰囲気になると、道の駅で紹介されていましたよ。

波の音、杉並木、400個の灯籠・・・そんな大晦日もいいなあ。




参考文献 : 大方町老人クラブ連合会発行『大方よもやまばなし』

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