今年の夏は暑かったですね!
お弁当を食べようと思っても、車から降りられないくらいの暑さ。
そんな日は、ちょっと雰囲気のいい木陰を探してウロウロです。
本日の場所は黒潮町。
入野というところには、素敵な浜があります。
本当なら浜で食べたいところですが、今日のところは浜近くの松原でガマン。
良い木陰を見つけてランチタイムです。
食後ちょっと散策してみたら、すぐそこに神社が。
この神社、もしかして・・・
高知県には、『延喜式神名帳』に記載されている神社が21座あります。
幡多郡にあるのは、そのうちの3座。
宿毛市の「高知坐(たかちにます)神社」は、名前に惹かれて行きました。
土佐清水市の「伊豆田(いずた)神社」は、南国市の神社と三姉妹という逸話が面白くて訪ねました。
残るは、黒潮町にある「加茂(かも)神社」。
まあ、そのうち行ってみようくらいに思っていました。
行き当たりばったりランチタイムに、ばったり神社に行き当たる!
「加茂神社」、予想していたより社殿が小さめでした。
面白いなと思ったのは、砂地であること。
入野の浜と同じさらさらの砂なんです。
杉並木の間の長い参道も、砂地です。
ああ、なんかオシャレ感。
狛犬のそばに貝殻が。
ああ、アロハとかマハロとか言ってしまいそうな雰囲気。
開放的な境内に、安政津波の碑が立っています。
黒潮町は南海トラフの津波予想で、最大津波高が34mというショッキングな数字が出ています。
ビルで言うと10階以上の高さ。
地形的に津波が高くなりやすいのでしょうか。
安政や宝永の時にも、大きな被害が出たようです。
未来のみんなの被害が少しでも減るように、警告してくれている石碑。
百年、二百年前の人たちが心配してくれているって、なんかすごくないですか?
自分たちは、何百年後の人たちを思いやってあげられるのかな?
この碑には、『鈴波』は地震の前兆なので気をつけて───
というようなことが書かれているようです。
はて鈴波?
安政元年11月5日、南海トラフの大地震が起こりました。
津波の被害は、やはり大きかったようです。
その前日の昼頃。
気づかない人もいたくらいのかすかな地震があったようです。
そして、地元の漁師さんたちも首をひねるような波の変化が。
台風でもないのに、広い浜が半分ほど浸かったのだそうです。
しかも、大きなザバーン系の波ではなく、じわじわ上がってくる低い波。
「芋飴を流したような」と形容されています。
ずりずりと浸かってきたのでしょうか。
その後も、やはりいつもと何か違ったようです。
波は決して高くはないのですが、満ちてみたり引いてみたり。
海が妙に忙しなかったようです。
漁師さんたちは、この日の波を『鈴波』と呼んだということです。
現在『津波』と呼ばれている波を、当時は『大汐(おおしお)』と呼び、被害が出ないくらいのものが『津波』と呼ばれていたようです。
『鈴波』は、この『津波』が訛ったのではないかという説もあるようです。
これはおかしいぞ!というレベルなら分かりやすいんですけどね。
どうやら、なんかおかしい・・くらいの変化だったようです。
宝永の大地震の前は、地震がだんだん強くなり、川の水が無くなったなどの分かりやすい前兆があったらしいです。
安政の大地震の前は、『鈴波』以外はこれといった前兆は無かったと。
「ただ近年殊の外暖かく、夏は堪えがたいほどであった。」
の一文が、ちょっと背筋が寒くなります。
この堪えがたい暑さの昼下がりに・・・・
もう一つ面白い言い伝えが。
加茂神社の社殿、宝永の大津波で浮いたそうですが、潮が引くと寸分違わず元の位置に戻ったそうですよ。
イリュージョン!
加茂神社、大晦日の夜には400個の灯籠が参道に並んで幻想的な雰囲気になると、道の駅で紹介されていましたよ。
波の音、杉並木、400個の灯籠・・・そんな大晦日もいいなあ。
参考文献 : 大方町老人クラブ連合会発行『大方よもやまばなし』
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