48. Which one is 国澤地蔵?


高知城から言うと北西の方角、江ノ口川のそばに何やら気になる一画があります。

夕涼みをしたくなるような空間っぽい、何かそそられる雰囲気。
いつ通っても心惹かれるので、ある日とうとう覗いてみることにしました。



藤なのでしょうか、棚に枝を這わせています。
その下に祠さんがひとつ、そしてお地蔵さまが何体か。

こんなにいらっしゃるとは。
予想の上をいってました。




看板には『国澤地蔵』と書かれています。
その昔、国澤家の方が四国遍路に行く途中、川の中に埋もれかけたお地蔵さまを見つけます。
「帰り道にお連れしてお祀りします」と約束しましたが、違う道から帰ってきてしまいました。
すると、その晩からお地蔵さまが夢枕に立つようになりました。
これはいかん、と川に行って、お地蔵さまを抱いてお連れしたと言うことです。



まごころ込めてお頼みすると叶えてくださる、霊験あらたかなお地蔵さまだったそうです。
国澤家では『国澤地蔵』として大切にお祀りしていたそうです。



ところが、国澤家も代が変わり上京してしまったりして、お地蔵さまだけが残されて桑畑の中におられたようです。
しかも、区画整理で行き場を失った、小津・桜馬場・越前町あたりのお地蔵さまも集まって来られたらしく。

最終的に、このようなシェアハウス状態になったようです。


この中に国澤地蔵さまが


困ったことには、どれが国澤地蔵なのかがわからなくなってしまいましたとさ。
願い事が叶うお地蔵さま・・・惜しいことよ。
他のお地蔵さまも、それぞれの場所で何らかの願いを叶えてくれていたはずです。
でも、ここでお願いしておくと、どのお地蔵さまかの得意分野にヒットして聞き入れてくれるかも・・・?




ちょっと思い出したのが、柳田國男先生が書かれていた『咳のおば様』の話。
江戸時代、とあるところに、石のお爺さんお婆さんの像がありました。
この二人は仲が悪く、少し離して置かれていました。
そして、咳が出て困る時に頼むと良くなる、との評判でした。

お供えは、豆やあられ餅を炒ったものと煎じ茶だったそうです。




明治時代になり、この像は行方不明になっていたようです。
そして見つかった時には、二人仲良く並んでいたそう。
そればかりでなく腰から下の病気を治してくれる、という話になっていました。
お供物は、草履などの履き物に変わっていたという事です。




きっとこんな風に、時代と共に変わってきたりするのでしょうね。
人間っぽくて面白い話だなと思います。


大部堂


祠さんの方は、『大部堂』という名前のようです。
高知城築城の時に、大工の棟梁をしていた方が秘密を守るために殺されたという話があるらしいです。
その棟梁を憐れんでお祀りしたのが、この大部堂なのだとか。

人の命を奪わねばならないほどの秘密って、どんな事なんだろう。
こんな風な血なまぐさい話は、各地に残っているみたいですね。




ここには、もうひとつ話が残っているようです。
かつて大きな木があったとの事。
道路を広げるのに邪魔になり伐ったところ、高熱が出て亡くなってしまったのだそうです。
やはり祟りだろうかと評判になったのだとか。




ちょっとした空間なのに、逸話がなかなか盛りだくさんでした!




参考文献 / 柳田國男さん著『日本の伝説』
     市原麟一郎さん編著『高知伝説散歩』

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