59. 飛首を探して

 

飛首と書いて「とびす」と読む地名がある、という話を教えてもらったのは、かれこれ1年半前。

そして、地名にまつわる伝説もあったはず、とのこと。

飛ぶ首ですって?

もう、興味が湧かないわけがない。




処刑された義民の首が飛んで来たとか?

それとも、夜な夜な何か起こる的な?

とにかく、想像をかき立てる地名です。




でも、残っていたのは、悲しい物語でした。


飛首かと思われる辺りを流れる四万十川



高知県の真ん中あたりに、大野見という地域があります。

現在は中土佐町になっていますが、合併前は大野見村でした。




その昔、大野見に古谷大膳亮という武将がおりました。

津野氏の家臣で、幡多(高知県西部)まできこえた武将だったそうです。

津野氏は、900年頃から1500年頃までこの辺りの地を治めたといわれる一族です。




大膳亮には、ひとつぶ種の愛娘お千代がありました。

お千代はすくすく育ちましたが、10歳の時に母を亡くします。

まだまだお母さんが必要な歳です。

胸が痛みます。




その3年後、第二の母がやってきます。

お千代は母になじもうとしましたが、義母は厳しい仕打ちをします。

いつしかお千代は、すさんでいじけた娘になっていきました。




ある日の夕方、父の言いつけで清泉寺へ出かけたお千代。

遅くなり急いで家に帰ります。

夕ご飯を食べていると、大好物のミョウガの煮物の中に縫い針が入っていました。

お千代の中に怒りが込みあげます。

怒ったお千代は、屋敷の裏手に火を放ち、下男の弥助の引き出した白馬にのって真向かいの芹田に走ります。

追いかける父。




そして、父の放った矢が白馬をい抜き、お千代は川原に転がり落ちました。

父は「愚か者め!」と白刃をふり下ろします。

お千代の首は胴を離れ、上流に飛んで行きました。

お千代が切られた場所を『一切淵』、首が飛んだところを『飛首』というそうです。




怒りにまかせて火を放つのは、言語道断です。

しかし、溜まりに溜まったものがあってパンパンの風船みたいな状態だったんでしょう。

針だって、義母だったかもしれないけど違ったかもしれない。

もう少しどうにかならなかったものかなあ。

なんかもう、気持ちが落ち込むような話です。




でも『飛首』って、どんな所だろう。

というわけで、訪ねてみることにしました。




しかし、地図上にはその地名は見当たりません。

唯一のヒントが、高知の偉人・物理学者の寺田寅彦先生のご先祖さまのお墓があるということ。

「天災は忘れた頃にやってくる」

と言った、あの寺田寅彦先生です。

ご先祖さまは、宇賀という苗字だったようですね。




もっと山奥かと身構えて行ったのですが、思っていたより道がきれいで、山道に入ってからも遠くない所に道案内の看板をつけてくれていました。

四万十川の流れのすぐそばに、宇賀家のお墓は並んでいました。

幽霊は信じてないとか言いながら、ヘタレなのでお墓の写真は怖くて撮れない 笑


宇賀家のお墓への案内看板


この辺りが『飛首』ということになるのでしょう。

倉庫のような建物があるだけで、人家は見当たりませんでした。

電柱に書かれた地名も『飛首』ではありません。

住む人がいなければ、地名がなくなっていくのは自然なことです。



古谷大膳亮の苗字が付いた橋。関係があるのかしら。



地名を聞いた時の興奮はどこへやら。

四万十川が流れる静かなこの地で、その昔悲しい出来事があったのかもしれないなと思いながら、散歩して帰ってきました。





参考文献 : 大野見村史

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