46. 斉明天皇と朝倉神社

 斉明天皇が崩御なされたのは、福岡ではなく高知だった────

という説があるのはご存知でしょうか?




その舞台となるのが、朝倉神社です。
高知市の西の端の地域・朝倉にあって、近くに高知大学もあります。
昔から『木の丸さま』の愛称で親しまれています。



朝倉神社の御神体は、背後にある赤鬼山。
これぞ神奈備山というような、とてもきれいな形をした山です。
はるか昔から信仰の対象であったのだろうという説にも、おおいに納得できます。




朝倉神社の南西に、朝倉城址があります。
城主だった本山氏が、赤鬼山の木を切り倒して使ったら祟りがあって懲りたという逸話もあるとか。
鬼と名のつく神奈備山、さわらぬ方が良さそうです。






さて、斉明天皇は、655年~661年に在位していた女性の天皇です。
大化の改新でおなじみの中大兄皇子(天智天皇)や、日本書紀・古事記の編纂でおなじみの天武天皇のお母さんといわれている方です。



その頃、朝鮮半島では戦が激しくなっておりまして、何かと国交のあった百済(くだら)から兵を送ってくださいと頼まれた斉明天皇。
出兵のため、奈良から拠点を移します。
住んだところが『朝倉橘広庭宮(あさくらたちばなひろにわのみや)』といわれています。

この『朝倉橘広庭宮』を建てる時に、朝倉社の木を切って用いたため、神が怒って宮殿を壊したり、宮中に鬼火が出たりしたそうですよ。

恐ろしや~。
そして、斉明天皇も病に倒れてしまい、崩御なされたということです。
天智天皇は、『木の丸殿』にこもって喪に服したといわれています。



木の丸さまとも呼ばれる朝倉神社



一般的には、福岡の朝倉での話といわれています。

朝鮮半島に渡るなら、やはり福岡を拠点にするのがベストですよね。
しかし、高知の朝倉神社にも伝承が残っているのです。
まず、『木の丸さま』という愛称。
木を切ったら祟りがあったということ。
そして、朝倉神社が『正一位高賀茂大明神広庭の宮』とも呼ばれていたこと。
その他、地名など共通項もあるらしいです。




また、天皇の喪の儀式を、山から鬼がのぞいていたという話もあります。

鬼がのぞくって・・・

なんかおどろおどろしい話が多いですねえ。
その山こそ、その名の通り赤鬼山だということです。



赤鬼山


斉明天皇の御陵は、最近話題になった奈良の『牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)』ではないかといわれているんですよね。
ちょっと前に新聞などに出ていた、八角形の古墳です。
しかし、朝倉神社から南に2キロほど行ったところにある、鵜来巣山(うぐるすやま)に埋葬されたという伝承もあるようです。
一度仮に埋葬されたということなのか、詳しいことはわからないのですが。



ちなみに、朝倉神社の御祭神の一柱は天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)。

斉明天皇のことです。

天智天皇の勅語により、合せ祀られたのだそうですよ。




何はともあれ朝倉神社、静かな佇まいの良い神社です。

鬼がのぞいていたとか祟りとか怖い話が出てきましたが、赤鬼山はやはり美しい。



百度石ならぬ千度石 なかなか根気が要りそうです


「朝倉宮は、うちの話です」論争には愛媛の朝倉も参戦していて、なかなか静かに熱い戦いが続いています。

はっきりとした答えが出ることはないのでしょうが、万葉の時代に思いを馳せるのも面白いものです。




参考文献 : 広谷喜十郎さん著 『土佐史の神々』

     弘田五郎さん著 『朝倉神社』

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