85. 星に願いを、だけじゃない七夕の話

 

7月7日は七夕さま。

色とりどりの短冊に願い事を書いて笹(もしくは竹)に飾ります。

はなればなれになってしまった織姫と彦星が、晴れていれば天の川を渡って年に一回だけ会うことができる日です。

物語によっては、織女(しゅくじょ)と牽牛(けんぎゅう)という名前になってたり。

晴れたから二人は会えたかな、なんて言いながら夜空を見上げる平和な行事です。




が、いざ由来などを調べ始めたら全体像が見えてこないのです。

古くからある行事なのでしょうか、各地で話がくっついたり離れたり絡まりあったりしてるような印象を受けます。

日本各地でも七夕祭りが行われますが、現在のカレンダーどおり行われるところもあれば、月おくれの8月のところもあります。

例えば毎年たくさんの人が訪れる宮城県仙台の七夕祭りは8月6日から8日、神奈川県平塚では7月7日前後の3日間なのだそうです。




どうやらルーツは中国。

全体像が見えないわけです。

確かに牽牛って名前は、日本ではあまり見かけない漢字を使っていますもの。

牽牛星と織女星が年に一度の逢瀬を楽しむという中国の伝説と、『乞巧奠(きっこうでん)』という裁縫上達を願う儀式が結びついたようです。

そして、日本の『棚機つ女(たなばたつめ)』の伝説も合わさって、「棚機」から「七夕」になっていったともいわれています。

古代では宮中行事だったのですって。

日本では禊(みそぎ)の行事の性格もあるそうです。




なぜ七夕が気になり始めたのかというと、50年くらい前までの笹飾りが現在のものと違っていたという話を聞いたからです。

2本の笹を立て、間に縄をかけます。

そしてその縄に、ほおずき・きゅうり・なす・とうもろこし・フロウ(豆)などを吊り下げるのだそうです。

田芋の葉に、塩・水・米・酒を包んだものも吊るしたとのこと。

もちろん笹には短冊も吊るします。

短冊は基本的に五色だったよう。

赤・青・黄・白に、黒の代わりの紫。

そういえば、七夕の歌は「五色の短冊~♪」ですね。


想像図


川が流れている地域では、川に縄を張り渡してたそうです。

結界感があって、テンション上がりそう。

吊るすものは大体同じで、農作物や木製の機道具・五色の短冊など。

現在でもやっている地域があるらしいので見てみたいです。

高岡郡や幡多郡の奥の方では、藁で作った牛馬を飾るのだそうです。

須崎市のまちかどギャラリーでは、藁の馬の伝統を残そうと作り方のワークショップも行われているんですよ。→すさきまちかどギャラリー




そんな感じで、吊るすものも地域によって違ったようです。

在所村(今の香北町)では、野菜や果物と一緒に白粉や紅、おはぐろなどの化粧品、手芸品なども吊るしたそうです。

安田町では、女の子が裁縫道具をまつったり、男の子は字が上手くなるといって芋の葉の露ですった墨で短冊に字を書いたんですって。

そうなってくると、中国の裁縫上達を願う『乞巧奠』の色が出てますよね。

宿毛市の沖ノ島では、朝露はどの葉からとってもよかったそうですが、一般的にはタイモからだったようです。

そして短冊に書く文言が決まっていたそう。

「七夕のと渡る舟のカジの葉に行く秋をかけておくる玉ずさ」

「七夕のばたばたするも今日限りあすは海の中へドンブリ」

短冊に筆で書いたら字数が多くて失敗しそうな予感。




機を織っていた織姫は「技芸」を、牛飼いだった彦星は「農耕」を象徴していて、この二つの星にそれぞれ供物を捧げるということらしいです。

技芸や農耕じゃないけど、白粉や紅を供える気持ちもわかります~




どうやらこの七夕飾り、7月6日の午後に立てて、翌日の朝には川に流していたようです。

7日の朝、川で髪や着物を洗えば汚れがきれいに落ちるともいわれていたそうですよ。

これが禊の行事といわれる部分なのでしょう。

しかし一方では、この日は水泳や出漁してはいけないといっていた所も多かったそうです。




全国的に、7日の朝の水浴びは睡魔を払い、穢れを流すための『眠り流し』と呼ばれる習慣だったようです。

高知の資料では『眠り流し』の言葉は今のところ見かけていません。

青森の『ねぶた』などの夏祭りは、この『眠り流し』が変化したものと考えられているとのことです。

今度は青森まで話が行ってしまった。

いちいちスケールが大きいな・・・




小さい話もしておこう。

七夕に吊るしたナスは、イボを取るのに効き目があったそうですよ。

ナスのアクが効くのか、秋ナスが良いというのも聞いたことがあります。

イボにナスの切り口をを当てておいたり、こすり付けたりするらしいです。

液体窒素で焼いてもらっても、案外イボはしつこいですからね。

あと、七夕飾りをひと枝だけ残しておいて軒下にさしておくと、災難避けになるともいわれていたそうです。




たなばたさまは女の神さまであるとか、七夕は女の人の祭りであるとか、そんな話もありまして。

川を渡す綱に飾るナスは男茎女陰の形のものを飾るのが習わしで、今年はどんなのが出るか皆が楽しみにしているという地区もあったようです。

藁の馬もオスとメスがあるとのこと。

七夕に夫婦が仲良くしないと一年中仲が悪くなる、という俚言のある地区まで。

ちょっと艶っぽい一面もあるのかもしれません。




話が多くてあちこち飛んでしまい、まとめきれていません。

まあ元々物語の舞台は宇宙ですしね。

それにしても、技芸の上達を願ったり禊などの面を持つ行事から、ラブストーリーと願い事が叶う部分だけ残ってきたのは、変化が現代っぽいなと思います。

上澄みだけすくったような感じというか。

でも、願い事を書くのは楽しいですよね。

少し恥ずかしいけど 笑

形を変えながら受け継がれてきた七夕さま。

今年は、「七夕のことがもっと解りますように」と願わなければ・・・




高知に残る、七夕にまつわる話も書いてます

『キュウリ食べるべからず、の話』もよかったらどうぞ!




参考文献 : 坂本正夫さん・高木啓夫さん著『日本の民俗 高知』、 在所村史、 新安田文  化史、 香北町史、 寺家風土記委員会著『寺家風土記』、土佐民俗 第21号

       

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