高知県には『正月女』と呼ばれる言い伝えがあります。
基本的に、1月中に女の人が亡くなると女を七人連れていく、というものです。
自分にも降りかかるかもしれない怪異は、やはり恐怖です。
同じ部落の中から年内に七人連れていくとか、川上で女の死者が出ると川下で七人の女の人が亡くなるなど、地域によって少し変わってきます。
1月中というところもあれば、1月7日や14日までにという地域もあります。
多少の違いはあれど、県下全域でいわれていたことのようです。
でも、七人も連れて行かれてはたまったものではありません。
そこにはもちろん災厄から逃れるための作法が存在します。
◯亡くなった方に男の格好をさせる
◯お棺に7体の人形を入れる
◯四ツ辻に集まってお祭りをする
◯お正月をやり直す
このあたりが主流だったようです。
上の三つは高知県中部から東部、お正月をやり直すのは西部の幡多地域で多く行われていたみたいです。
怪談系の話は女ばかり!と思われた方、大丈夫。
『師走男』も存在したようですよ。
12月に男の人が亡くなるのを忌む地域もあったそうなんです。
その場合は、女物の長じゅばんを着せたりしたそう。
でも、こちらは伝承が薄れていったようです。
この言い伝え、旧暦の頃からのものです。
だから現在の2月の話だったのが、ちゃっかりお正月と一緒に移行してきてるんですよね。
そして、何食わぬ感じで1月の話として定着しているのがなんか面白いです。
1962年(昭和37年)の広報紙に『正月を統一しよう』という文字があったので、過渡期はその辺りでしょうか。
言い伝え的には、「旧暦の1月中」という考えも根強かったみたいですが。
今回は、1986年(昭和61年)に実際行われた出来事を書いておこうと思います。
義父(82歳)、義母(79歳)をせっついて思い出してもらいました。
高知市朝倉の話です。
その年の2月に義父のお母さんが亡くなりました。
旧暦の1月です。
「1月中に女の人が亡くなると七人連れていく」という言い伝えが残っている地域のこと。
習わしにしたがって、男の人の格好をさせたそうです。
そして棺の上に男物の着物をかけて、小さな刀(刃物)を上に置いたということです。
これは、男の人が亡くなった時に棺の上に小さな刀を置く風習があるからだそう。
あと、紙で人形を七体作って、棺の中に入れたそうです。
てるてる坊主のような人形だったみたいですよ。
そのほかにも、四ツ辻でちょっとしたお祭りが。
まず四ツ辻の四方の角あたりに穴を掘り、七体の人形を埋めたそうです。
そして、女の人だけ集まって飲んだり食べたりのお祭りをしたのだそう。
この時は、ちょっとしたお菓子などだったとのこと。
49日までにした、と言っていました。
その年は1月にも近所の女の方が亡くなっていたので、二人分一緒に行ったそうです。
旧暦と新暦、どちらかわからないから両方やっとけば間違いないって事ですね。
今では、穴の掘れる四ツ辻を探すのもひと苦労です。
このお祭りのことを『辻祭り』と呼ぶ地区もあるそうです。
そして、この地域ではこれを『正月女』ではなく『七人ミサキ』と呼んだそうです。
『七人ミサキ』は ─────
七人で彷徨っている霊が人間に取り憑いて死なせる
↓
その人間が仲間入りし、七人のうち一人成仏できる
↓
新メンバーを加えた七人で彷徨う
・・・という怪異が有名です。
全然違う話なので驚きました。
『七人ミサキ』についても書いています。→コチラ
おそらく、現在もこの習わしが残っている家もあるのではないかと思います。
実は10年ほど前ですが、うちの祖母が亡くなったのが1月でした。
『正月女』のことは聞き知っていたのですが、家族の誰も何も言わないので黙っていました。
習わしがないなら、わざわざ持ち込むこともないだろうと。
最近になって何気なく聞いてみたら、なんと母が忘れていただけ。
でも、その年に目立って女の人が亡くなったわけではありませんでした。
結局、迷信や呪いっぽいものに打ち勝つには、忘却が一番効くのかもしれません。
Xにて色んな『正月女』の話が出ていますよ。
興味ある方は→コチラのポストをたどってみてね
参考文献 : 桂井和雄さん著『生と死と雨だれ落ち』、大方公民館報・広報縮小版『町の玉手箱』
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