高知市の朝倉と春野をつなぐ荒倉トンネル。
荒倉トンネルの南側、道路より一段降りたところに小さな神社があります。
鳥居には、『天水分神社』『地水分神社』の文字。
読み方は、『あまのみくまりじんじゃ』。
もう一つは、『ちのみくまりじんじゃ』なのかな(あいまい)。
名前は二つ、社殿は一つです。
天水分神社・地水分神社 |
池のようになった真ん中に参道がある、あまり見たことのない造り。
その池は、のぞいてみると水がこんこんと湧いているのが分かります。
その水は、手を伸ばしたくなる綺麗さです。
触ってみると、思った以上に冷たく気持ちがいい!
場の雰囲気と相まって、神聖なものを感じてしまいます。
ここを出発点として、神社のそばを小川が流れています。
どうやら「伊豫川(伊予川)」というらしいです。
そして合流して少しずつ水量を増やしながら、土佐湾にたどり着きます。
池にはさまれた参道 |
『高知県吾川郡弘岡中村誌』には、「西権現泉」と書かれていました。
やはり、伊豫川の水源との記述が。
西権現?
確かに、そばのバス停は『権現』です。
でも、御祭神は『天水分神』『地水分神』となっています。
権現、気になります。
西があれば東もありそうで、そこも引っ掛かります。
『広報はるの』という旧春野町の広報誌を集めた本があって、昭和の香りが詰まっていて面白いんですが、その記事にも水分神社の事が書かれていました。
神社の裏手にちょっとした穴があるらしく、どれくらいなものか葉っぱや土をかき分け掘ってみた、というもの。
結局、それほどは掘れずあきらめたというオチなんですけど。
神社の境内を掘ってしまうこのエピソードが、もう昭和ですよね。
この伊豫川の水、その名の通り伊予(愛媛県)から来ているという言い伝えもあるそうです。
ここの水、かつては頭の病気によく効くと言われていたそうですよ。
記憶が混乱し始めたら来なくちゃ。
伊豫川の出発点 |
この、遠く離れた地とつながっている言い伝えって、どういう事なんでしょう。
それは、南国市にある石土(いしづち)神社にも。
神社の後ろに石灰洞があるそうなんです。
そこは四国山脈の大野ヶ原に続いていて、讃岐の萩原寺地蔵院に抜けているのだとか。
そして前方にある阿戸の池は、まんのう池に続くと言われているそうです。
どういうシステムなんだろう。
でも神様が絡んでくると、そんなこともあるかも・・・なんて思ってしまいそうになる不思議。
あと『水分神社』って、高知ではあまり馴染みがありません。
奈良などには、いくつもあるんですね。
水源地や分水点に神様がいるのは、無駄な争いの抑止力になりそう。
だから水源地に神社を建てるのは、とても賢いことだと思うのです。
実際、冷たくきれいな水が湧き出る様子は、神がかっているのですけどね。
夏になると、水不足のニュースも出てきます。
その度に、水の大切さを思います。
水に関する神社の多さを考えると、水がどれほど大事にされてきたかも想像できます。
水について改めて考えてしまった、水分神社探訪でした。
参考文献 / 『高知県吾川郡弘岡中村誌』『広報はるの』
広谷喜十郎さん著 『土佐史の神々 第二集』
『南国市史』
※作者“とさみみ”になっていますが“のどQ”の間違いです。
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