36. ギンヤンマ、釣れるってよ

 

いきなりですが、トンボの飛び方ってかっこよくないですか?

方向転換はスマートだし、ホバリングも出来ます。

空中で止まれるのって、かなり高度なんですよね。
形もスッとしててかっこいい。
手で持った時にも、臭くないし、うるさくないし、粉とか付かないし。
だから、子供の頃はトンボを捕まえるのが好きでした。



昭和50年代のトンボ捕りは、もちろん虫取り網です。
シオカラトンボ、ムギワラトンボは初級編。
本当の狙いは、オニヤンマ、ギンヤンマです。
ヤンマ系って、網を構えて待っていると少し手前でスッと横に避けるんですよね。
捕れそうで捕れない。

どうやったら捕れるのか、トンボと知恵比べです。



ある時、父(77歳)が小さい頃のトンボ捕りの話をしてくれました。
父は、大方(おおがた)町(現・黒潮町)出身です。
ヤンマの雄と雌に呼び名があって、どっちかが『アブラメン』、もう片方が『キショリ』だったとか。
日本語ばなれした響き、気になる。
しかも、その頃は“捕る”というより“釣る”に近い。
面白くないわけがないヤツです。



でも、それ以上のヒントがないままこの話は保留になっていました。
四万十市のトンボ自然公園に行ってみようかな、と思いつつ。
そして、見つけました。
土佐民俗学会さんの『土佐民俗』の中で、浜田数義さんが『秋の遊び』として書いてくれていました。
浜田さんも、大方町の方だそうです。



その中で、ヤンマの雄を『シャーリ』、雌を『メン』と呼んでいたとあります。
「雌の方は一般に、雄よりハネの色が茶色がかっているが、その色の濃いのを『アブラメン』といって珍重した」
おお、『アブラメン』きたーーー。
大人からすると同じに思えることも、子供には貴重なものってありましたよね。
『アブラメン』を見つけた時は、興奮したんだろうなあ。






父の記憶では、ヤンマの中でもギンヤンマのことだったのではないかということです。
確かに、ギンヤンマの雌は、雄よりハネが茶色のようです。




浜田さんによると、昼間の『シャーリ』は田畑の上の一定空間を独占して、他のトンボの侵入を許さないのだそうです。
『メン』は昼間に単独で飛ぶことはなく、夫婦で飛ぶのだとか。
浜田さんはその対になったトンボを『ロッカ』と呼んでいたそうですが、昭和50年代の子供は『合体トンボ』と呼んでいました。
『ロッカ』・・・また、日本語ばなれした響き。
合体なんて合体なんて、品がないよ・・・




その『ロッカ』の状態になると、取りやすい。
しかも、二匹一緒に捕れる。
ボーナスタイムですよね。
でも、いつもボーナスタイムなわけではありません。
そこで、知恵を働かせます。




『アブラメン』の胴を糸でくくって、『シャーリ』の飛んでいるところで飛ばします。
すると、悠々と飛んでいた『シャーリ』の態度が一変。
矢のように飛んで来て、猛然と襲いかかってくるのだそうです。
そして、離すもんかの勢いで『アブラメン』にしがみつく。
『アブラメン』捕ったどー!ですね。
子供たちは、しめしめ。
『シャーリ』を捕ったどー!になるわけです。
あのかっこいいヤンマが、そんなかっこ悪い捕られ方を。




『メン』が手に入らない時は、シオカラトンボとかで代用するのだそうです。
でも、『シャーリ』は襲いかかってくるけれどアッサリ離すらしく、なかなか腕がいるようです。



父の場合は、雌が手に入らない時、雄に泥を塗って茶色くして代用したそうです。
みんな、知恵を絞ってますねえ。

雌を捕るのは難しい、と言ってました。
難しければ難しいほど燃えるんでしょうね。




ギンヤンマを捕る時の歌もあったそうです。

♪メンのしゃららは、オニにおわれて・・・・

までしか覚えていないそうですが。

気になりすぎる。




トンボも少なくなり、トンボ捕りをする子供もいなくなりました。
でも、ヤンマ釣り、面白そうですよね。
キャンプが流行っているこの頃、自然で遊ぶ機会も増えてるのではないでしょうか。
ヤンマがいるところなら、ちょっとチャレンジしてみてもいいかもしれません。
案外トンボ捕りの名人が、周りにいるかもしれませんよ。

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